講師:居細工 豊
普遍洞察
いつでも、どこででも、誰にでも
了解される考え方
すべての人間の共存と
エロス的共生
お互いの存在と自由を
認め合いながら共に生きる
人間の価値観、文化、宗教、関係性、考え方は全て言語ゲームによって形成されている。
それゆえ、我々の対立は、言語ゲームによって生まれていると言える。更に言えば、我々の対立は言語ゲームによって克服され得るし、社会は言語ゲームによってより良きものにすることができるはずである。
ここで、気をつけなければいけないことは、言語は白を黒と言いくるめる帰謬論法(詭弁論)を生み出すこともできる。自分が正しいという前提で、議論や思考を進める「直観補強」的な言語ゲームは独我論に陥り、対立の溝を深めてしまう。
しかし、それぞれの考え方や価値観、感受性の違いをまず認めた上で、「われわれ」にとってではなく、より多くの「みんな」にとっての共通了解を目指す「直観検証」は問題解決の糸口となる。
「いつでも、どこでも、誰にでも」了解してもらうための、普遍洞察は、お互いの自由を保証し、よりよい社会や人間関係を築く最善の方法である。
※哲学は普遍的な世界説明を創り出す試みである。だがそもそも何のために。こう考えねばならない。
人間だけが言葉によって世界を創る。フリードリヒ・二ーチェがいったように、千の民族は千の「神」をもつ。言いかえれば、千の民族が千の世界説明をもつ。なぜ人間にとって普遍的な世界説明が必要とされるのか。これに対する最後の答えは以下である。 「普遍暴力の縮減」のために。またそのことによって、すべての人間の共存とエロス的共生の条件を作り出すために、と。
(本文より抜粋)
※社会制度としての「自由」はリンク参照
今回は「新・哲学入門」(竹田 青嗣 著)の全7回の振り返りをしました。
「すべての人間の共存とエロス的共生」と「普遍洞察」をどのように生活の中に活かしていくか。
その達成度合いについて、みんなの自分語りの場となりました。
「普遍洞察」と「エロス的共生(お互いの自由を尊重・認め合う)」の大切さを理解して生の中心に据えれば、人生に起こる大概のことは乗り越えることができます。