講師:居細工 豊
4.「私」の還元
「私」とは何か
私たちにとってごく当然で、ふだん疑うこともないことを、いったんゼロにまで引き戻してみてみると、私たちはほんとうに不思議な生き方をしている。もちろんそれは人間にかぎらないが、不思議だと気がつくことで、私たちをめぐるもろもろの現象の見え方がずいぶん違ってくる。ここで本章の最後として、次章以降のメインテーマとなる「私」ということをめぐって、ごく素朴なかたちでの還元をほどこしておきたい。
私たちは、いま私はこうしているとか、さっきまで私はこういうことをしていたとか、もう少ししたら私はこんなことをしているだろうとか、「私」というものを軸にしてこの世界を体験し、このことを動かすベからざる大前提のように思っている。「私」がいて、その「私」がこの世界を生きているのだというわけである。デカルトなどもその学のはじまりとして、疑いを入れることができない確実なところからものごとを考えようとして、「我考える、ゆえに我あり」というところにたどりつく。この目の前に展開している世界はほんとうに存在するのかと考えれば、これは私が自分の内側から投影しているだけのものかもしれない、そうして自分がつくりだしているものにすぎないかもしれない、そういうふうに疑おうと思えば疑える。しかし突き詰めてみたとき、いくら疑っても疑えないものとして、疑っている私がいるということは疑えないというのである。
ところが詩人のヴァレリーはこの考えを取り上げて、「我考える、ゆえに我あり」というのは、まさに考えているそのときはそれでいいかもしれないが、人はいつもいつも考えるわけではなかろう、とするとむしろ「我は時々考える、ゆえに我時々あり」だと皮肉る。じっさい日常の意識に即して考えればそうなる。私たちは目覚めているときには「私は………」などと考えているが、眠ってしまったときその「私」はどこへ行ってしまうのか。夢を見る「私」もいるが、ではその夢を見るときの「私」というのはいったい何なのか。 日々をすごす現在の平面でこうして問題になることを、私たちの生活史の過去にさかのぼってみることもできる。これまたごく素朴に考えてみて、昨日生きていた「私」がいて、その「私」がいまここにこうしている。このことを私たちは当たり前だと思って疑わない。さらに去年のいまごろ生きていた「私」がいて、それが現在の「私」にまでつづいている。そして二年前の「私」、三年前の「私」、四年前、五年前……とたどっていけばどうなるのだろうか。「私」は、過去にさかのぼっていったとき、どこまでも「私」でありうるのだろうか。
「私」の最初の記憶
現在からはじめて過去をたどって、昨日、おととい……さきおとといという近いところは一本の連続線でつながっている感じがするが、一年前、二年前となっていくともう連続線というより破線に譬えたほうがふさわしい。さらに十年前、二十年前となると印象的な体験が塊のようになってぽつぽつとあるという感じで、さらにもっとさかのぼると最後のほうはもう小さな点のような体験場面が脈絡なく点在しているだけという状態になる。
じっさい、小学校に入るまでの記憶をどれくらい手繰(たぐ)り寄せられるかを調べてみると、大学生くらいでも十個以上の記憶をすらすら出せる人は多くない。私など小学校時代のエピソードですら、十個取り出そうとすると苦労する。そしてさらにその前にまでさかのぼっていくと、最後にはそうした点在する記憶すら消えて、自分の過去がいっさい見えなくなる。
この世に生まれてきて一番最初の記憶というものが誰にでもある。それはいつのことかと聞くとはっきりしないという人も多いのだが、だいたいの人が三歳から四歳。なにかとくに印象的なことがあって二歳代、一歳代のことを憶えているという人もいる。このときの記憶というのは一般にごくこく断片的なものなのだが、それでも「私」が何かをしている体験の記憶ではある。つまりその記憶のなかに「私」がある位置を占めていることはまちがいない。
私の場合は三歳のとき、敗戦後昭和天皇が「人間宣言」をして全国巡幸で私の故郷の小豆島を訪れたときのことである。島の中学校のグラウンドに消防団がでて、村の人たちがほとんど総出で出迎える。田舎ではあったが祭りのときのような人出で、私は父の腕に抱き上げられてその光景を見ていた。それはまるで写真におさめられた一場面という感じで、ストーリー性のまったくない、ただの断片の記憶である。しかしそこには「私」が確実にいる。
「私」が存在するといっても、その記憶のなかに私が見えるかたちでいるのではない。たくさんの人たちがグラウンドに立って、お立ち台の方を見ている、その向こうに数台の赤い消防自動車がある。 このなかに自分の姿は見えないが、それを見ているのは「私」である。つまりそこでは視点として「私」がいる。知覚世界において自分の身体のある位置から、目の前の光景が遠近法的に広がるのと同じように、記憶にもパースペクテイブがあって、そこにおいて「私」は直接目では見えない視点として存在する。記憶の直接的な対象となるのは見た光景、受けた体験なのだが、それが「私」の記憶としてある。それはまさに記憶のこのパースペクティブ性によるのである。
ともあれそうして「私」の記憶がはじまる。その「私」がいまの「私」につながっている。この間、何十年もたってしまえば、それはもうまるで夢の中のことであるような気もするが、それでもそこに一つの物語的連続のあることを私たちは信じている。
それにしても、この一番最初の記憶のなかにいる「私」がいまにつづいているとして、その「私」はいまの「私」と同じなのだろうか。いまにまでつづいていると思っている以上は、そこになんらの同一性を感じているはずだが、といっていまの「私」と三歳のときの「私」がまったく同じ構造をもっているとは考えにくい。
たとえば時間について私たちは、明日とか明後日とか一週間後とかを明確に意識することができる。だからこそ人と日時を合わせて約束したりもできる。しかし三歳くらいの子どもだとそのあたり日時の感覚はきわめてあいまいで、もちろん約束などできない。そうだとすれば、私にとっての一番最初の記憶は、いまの「私」にとって一九五〇年、自分が三歳の記憶として時間のなかに位置づけているが、その記憶を生きていた三歳の「私」にとって、それは日々繰り返される漠然たる時間の流れのなかに突出した一場面としてあったにすぎない。
あるいは年齢の概念もまったく違う。
自分の年齢は親から教えてもらっているから三歳児でも答えられるが、他者の年齢となるとまったくでたらめである。数の概念ができていないのだから当然といえば当然だが、保育所で「おじちゃん、いくつだと思う」と聞くと、年長の子でも答えはでたらめで、私のほうで「十五歳だよ」と言っても十分ごまかせる。そうした時間意識や年齢意識は、おとなと子どもで、まったく人種が違うほどに画然と異なる。
違いは時間や年齢の話にとどまらない。それでも「私」というものの構図が同じといえるのかどうか。これについてはまた別の議論を要するところだが、ともあれ記憶の場面にパースペクティブ性がはりついているかぎりにおいて、三歳のときのそこにすでに「私」の基本構図を認めることはできる。
記憶のまえの「私」
では最初の記憶以前はどうであろうか。自分の記憶の範囲を越えて、そのもうひとつ手前を生きていたころ、私は「私」であったのだろうか。これは記憶にないわけだから、もちろん自分のなかでは確かめようがない。ただ一歳くらいの子どもでも、出会って話をしてみると、一人の人間として立派にやりとりできる。その子自身が自分の内側から世界をどう捉えているかはわからないが、少なくとも私たちはそこに「私」というのをもった人格を感じる。赤ちゃんではあっても、私たちはその赤ちゃんの「私」とつきあっているのである。ただしそこに「私」があるとして、その「私」の構図は、私たちにおける「私」の構図とどこまで同じであろうか。それは、さきの最初の記憶における「私」 よりもさらに私たちおとなの構図から隔たっていると考えられる。
たとえば、一歳くらいの子どもに鏡を見せる。そのころにはようやく鏡というものがわかってきていて、鏡にお母さんが映っているのを見つけると、ふりむいて実物のお母さんを見ることかできるところがその鏡のいちばん正面に映っている像を自分の姿を映したものとして捉えることが、この時点ではまだできない。それができるようになるのが、だいたい一歳半ころだといわれている。 鏡に映った顔を自分の顔だとわかるかどうかについては、簡単な調べ方がある。もともとはギャラップがチンパンジーの鏡像認識の実験として考えだしたものである。
まず鏡の体験を味わわせる。最初はまるで別のチンパンジーを見るように鏡像に攻撃行動をかけたりするが、やがてなれてくると鏡の仕掛けがある程度わかって、そこに映っているのが自分だと気づきはじめているようにも見える。ただほんとうにわかっているかどうかははっきりしない。
そこで麻酔をかけて眠らせたうえで額にペンキを塗るのである。揮発性のぺンキは乾けば無臭なので、目を覚ましたあともチンパンジーはまったく気づかない。そうしてふだんと変わらない行動をし てしるところに鏡を差し出して見せる。そのとき鏡に映った姿を見て、チンパンジーは額の赤いペンキに気づき自分の額に手をあて、必死になってそれをこすりとろうとする。そうなれば鏡像が自分の姿を映したものだとわかっているのだと確認できる。
同じ手法で人間の子どもについても、自分の姿の鏡像理解ができているかどうかを調べることができる。赤ちゃんが寝ているあいだに口紅かなにか、あまり匂いのしないものを額に塗っておく。目が覚めたあと、赤ちゃんが気づいていないことを確認してから、鏡を見せて、額の口紅を拭おうとするのかどうかをみるのである。そうして調べた結果、一歳半くらいのころに自己の鏡像理解ができるようになるらしいとの結果が得られている。
ここまではチンパンジーとほぼ同じなのだが、チンパンジーの場合はしょっちゅうその鏡を見せていると、そのうち飽きてきて、やがて鏡を無視するようになる。ところが人間の場合は、この鏡像理解がはじまってからというもの、逆に頻繁に鏡を使うようになっていく。親から可愛い服や帽子を買ってもらったりすると、それを被ったり、着飾ったりして鏡で自分の姿をながめたりする。おとなになれば、さらに毎朝でかけるまえにかならず鏡のまえで黒いものを塗ったり、赤いものを塗ったり、白いものをぱたぱたはたいたり。そうして鏡を見て、人から自分がどう見えるかをつねに意識する、 言い換えればそうして自分のうちに他者の視線をもつというのが人間である。
その点でいうと、鏡に映った自分を見てそれが自分とわからない一歳の子どもと、私たちのようにつねに他者の視線を我が内にもち、鏡をしょっちゅう見て自分の顔を作っていくおとなと、その「私」の構図が同じだといえるかどうか。ここにも問題があることに気づく。ただそう言ったうえで、私たちが一歳の子どもにかかわったとき、そこに「私」というものをもった人格性を感じる事実にかわりはない。
新生児の「私」、胎児の「私」
しかし、さらにさかのぼって出生直後の赤ちゃんになればどうであろうか。新生児はこちらが顔を見ても目が合わない。声をかけても応答がない。だっこしても抱きついてくれない。そういう状態だ から、そこに「私」を感じられないというのが一般である。 もちろんそれでもそこに「私」をもつ人格性を思い入れようとする人は多いし、またそれに似たものをそこに感じるという人もいる。じっさいこの世の中に生まれ出て、一個の身体として生きはじめている以上、「私」の基になるようななにかをすでに秘めているという言い方はできるかもしれない。しかしそれでもやはり新生児には、一歳の子どもに感じるような「私」を感じとることができない。 新生児が「私は……」というかたちで生きているとは思えないのである。
そこからもうひとつ胎児の段階にまでさかのぼると、胎児が「私」と思っているとはさらに思いにくい。最近は胎児の記憶とか出生時の記憶についての書物が出たりしているが、その多くはいかがわしい。
たしかに胎児期に一種の記憶現象があること自体はまちがいない。たとえば、出生前に胎児は母親の胎内で血流の音を聞いている。そこで出生後、同様の血流の音をテープで聞かせると、泣いている赤ちゃんが静かになる。つまり胎内で体験してきたことが、出生後になんらかの影響を与えているということはあって、それを一種の記憶現象だと言ってもまちがいではない。
しかしそこでいう記憶は、「私は……のことを憶えている」というたぐいの記憶ではない。あるいは胎児に音楽を聞かせると、クラシックでは動きが穏やかになり、ロックだと動きが激しくなるといった効果も確認されていて、それもまた一種の知覚現象ではある。しかしこれは母親のお腹を通して聞いた外の世界の聴覚刺激が胎児の身体に一定の反応を引き起こしたということではあっても、胎児自身が「私は……を聞いた」ということではない。
いずれにせよ胎児が「私は……」というかたちで生きているとは、およそ考えられない。そしてこの胎児もさらにもう一つ前の段階にさかのぼることができる。つまり胎児は受精卵として出発した。受精卵という単細胞が「私は……」というかたちで存在しているとは、さらに考えにくい。もっと突き詰めれば受精卵のもととなった卵と精子は一種の物質であり、卵と精子はそうなる手前のところで なんらかの物質から構成されてきたはずである。そこにもちろん「私」など存在しえない。
「私」は形成され、また崩壊していく
私は「私」としてこの「世界」を生きている。私たちはそう確信して、ふだんこれを疑うことはほとんどない。ところがその「私」の来歴を過去にさかのぼっていくと、以上少々しつこく見てきたように、やがてそれはどこかで消える。その消える地点がどこなのかは明瞭ではないが、少なくとも単細胞である受精卵に「私」があるとは思えない。そうだとすればその卵の段階からいまにいたる過程のどこかで「私」はつくられてきた。つまり「私」とは、発達の過程のなかで形成されてきたものだということになる。
すでに「私」として生きてしまっている私たちは、その「私」以前をなかなか想像できない。「私」が存在しない世界など、人には考えようがない。存在するとかしないとかいうときの、その「世界」そのものが、それを認知するべき「私」ぬきには成り立ちえないからである。そのためであろう。人はすぐに前世というようなことを考えて、その架空の世界に「私」の継続を求めてしまう。しかしそれは、「私」として生きてしまっているこの現在の存在様式を、過去の彼方に投影しているだけのことではないか。
なににせよ、こうして「私」は形成されてきたのである。ここから「私」をめぐるいくつかの問題群が登場する。
一つはもとより、この「私」の成り立ちを追う、もっとも狭義の発達・形成論である。他方で、その逆に「私」はいずれ壊れていく存在でもある。いわゆる老人性痴呆などは、その壊れていく過程の一つであろう。だからこそ痴呆研究が、おそらく今後、「私」にかかわる第二の心理学的研究として重要な意味をもってくるはずである。あるいは高齢化の過程で「私」が壊れていく老人性痴呆に対して、かつて早発性痴呆と呼ばれた精神疾患もこの問題群に含まれる。これらはまことに不思議な現象ではある。しかしこれもまた、成り立ってきたものは壊れうると思えば、起こって当然の現象ではある。
そして第三に、「私」というものが形成され、またいずれ崩壊するものであるとすれば、そこでは 「私」というものの形成されにくい人たちも当然いることになる。人間の身体をもつものはすべて 「私」として生きているというのならともかく、現実はそうそう単純ではない。「私」は、それがすでに形成されてしまった人間にとっては当たり前すぎるほど当たり前で、ほとんど疑いようがないのだが、さまざまな人、さまざまな子どもと出会ってみれば、「私」の成り立ちにくさをかかえた一群の人々に、私たちは目を向けないわけにはいかないのである。これについては早期幼児自閉症と呼ばれてきた人々の問題が、とりわけ注目される。
さらに少々余談めくが、もう一つ、第四の問題をそえることができる。それは長い時間のスパンにおける「私」の形成—崩壊ではなく、日とか時間の短いスパンのなかで起こる問題である。
新生児の「私」、胎児の「私」
さきにヴァレリーの話として取り上げたように、私は四六時中「私」として生きてはいない。二十四時間のうちには少なくとも数時間眠る。眠っているとき私たちは「私」を失う。ではそのとき「私」はどうなっているのか。次に目覚めたとき、どうして眠るまえの「私」と連続していることができるのか。
あるいはひどく酔っ払ったときの「私」もこの問題群のなかに入る。酔っ払ってわけのわからなくなる人は、「私」として存在しえているのか。酔っ払って犯罪を犯したような楊合、責任能力の問題として、そのとき意識喪失の状態だったかどうかが焦点となるが、そこで問われているのは、まさに 「私」として存在していたかどうかである。あるいは飲んだうえで、そのときわけがわからなくはならないが、翌日、前の日にしたことを覚えてないという人もいる。飲んだそのときは周囲から見て十分まともで、しっかり理屈にあったことをしゃべっている以上、そこで「私」として存在していたことはひていできない。ではこれが記憶からすっかり失せてしまうというのは何なのか。これも不思議である。そういう意味では酔っ払いの現象もまた、「私」にかかわる重要な問題を提起することになる。
ひとまずゼロにまで
保育の世界ではよく「子どもの目の高さで」と言われる。おとなという高みから子どもを見たのでは、子どもが生きている世界は見えないという意味である。しかし実を言えば、子どもの目の高さになった程度では見えてこない世界がある。この章で繰り返し述べてきた還元という発想は、子どもの目の高さよりもさらにもう一つ目線を低くしていく、あるいはさらに徹底して、ゼロまで立ち戻ってみるという発想である。現に誰もが受精卵という、言わばゼロからはじまった。もちろん受精卵にはそれまでの世代交代のなかで積み上げられてきた膨大な遺伝子情報が詰め込まれているのだが、少なくとも個の「私」の出発点としてみれば、それはかぎりなくゼロに近い。
このように人はゼロからはじまり、またやがてゼロに帰すと見ることで、私たちは「私」のいまの在り方を自明とするのではなく、種々の条件のもとでいろいろな在り方をしているうちのひとつとして位置づけることができる。たとえばある障害の条件のもとで生きている人には、その人なりの当たり前がある。とすれば、その人たちの世界を捉えるためには、私の側の当たり前をいったん括弧にいれておかなければならない。
人間は誰しも自分の見方にこだわる自己中心性があって、自分の在り方を括弧にいれるのが容易ではない。だからこそ少々極端ではあれ、卵というゼロの地点から発想しようとすることに意味がある のではないかと、私は思っている。もちろんメルロ=ポンティが「還元にかかわる最大の教訓は還元しつくすことは不可能だということだ」と述べたように、ゼロの地点に立ちきるなどということはできない。しかしつねにそこに立ち戻ろうとする立場を私たちは堅持せねばならない。そのことを私はこれまで〈発達論的還元〉と呼んできた。
この視点のもとに見れば、私も不思議だし、あなたも不思議。人は、一面では、みな同じ人間として生まれてきているし、他面では人はそれぞれの条件を定めとして負うて、その条件のもとに生きている。みんな同じ、だけどみんな違うのである。「みんな同じ」というところにこだわれば、非常に強迫的になって、自分の当たり前を相手に押しつけてしまう。だからこそ、みんな同じ人間だということを根底にはおきつつも、やはり「みんな違う」ことを肝に銘じて、自分の当たり前をいったん横においておくという発想が必要なのである。それによってはじめて人をありのままに理解することが可能になる。
この発達論的な還元の作業を、次章以降、〈身体とことば〉の問題をめぐって具体的に展開することになる。そのなかで「私」というものの根のありかを探ることができればというのが、私の願いである。
デカルト
- 学問の土台を据える -
~「われ思う、ゆえにわれあり」 ~
様々な地域・世界の中で得た確信
科学者はもとより、キリスト教やさまざまな諸信念を抱く人も「自分こそが現実を正しく捉えている」と思い込んでいる。
共通の世界像を作るために
私たちは、一切の知識が「私にとってそう思えるもの」(主観)でしかない、というところから出発しなくてはならない。 なぜなら、どんな人も(疑う人も、信じる人も)自分の主観の外に出られないから。
「確実な知識」へと至るために
理性を働かせて明晰判明に認識するもの、どう考えてもそうだとしか思われないものは真であると信じてよい。この事実が、人間理性(認識能力)の信頼性を保証する。
知識そのものの確かさを点検する
理性に保証を与えた上で「観念」を丹念に調べる。
主観の外に出て客観に触れることはできないが、しかし主観の内側を調べ、明晰で信頼できる観念とそうでないものを区別していくことはできる。
●感覚を取り去っても「考える私」は残る、だから精神の本質は「思考すること」(我考える、ゆえに我あり)
●数学や幾何学を確実な知識として認めた
●物体が数学的な法則のもとで運動している(自然科学の世界像の基礎づけ)
デカルトが残したもの
精神には精神の本性があり、事物には事物の本性があるとするもので、自然科学の世界像と精神の独自性を認めるもので、 「精神と物質の二元論」という二元論的な世界像を後世に残した。
後世の哲学者へ引き継がれたもの
●知識そのものの確かさを点検する→「多様な考え方や共通な考えを人が形成することの根拠は何か?」
●客観世界そのものを捉える特権的な場所はない(主観はその外に出られない)
●主観の中の観念を吟味する
※参考「はじめての哲学史」竹田青嗣・西研[編](有斐閣アルマ)
「私」とは何か ~「私」の形成 ~
記憶のパースペクティブ性
パースペクティブ(視点)を持つ「私」
知覚世界において自分の身体のある位置から、目の前の光景が遠近法的に広がるのと同じように、記憶にもパースペクティブがあって、そこにおいて「私」は直接目では見えないが、視点として存在している。その「私」の記憶が、いまの「私」につながっている。そこに一つの物語的連続のあることを私たちは信じている。記憶の場面にパースペクティブ性がはりついているかぎりにおいて、三歳のときのそこにすでに「私」の基本構図を認めることはできる。
「他者の視点」を「自分の視点」に重ねる
他者の視線を我が内にもつようになる「私」
鏡の機能を認識した後、チンパンジーは鏡を無視するようになるが、人間は逆に頻繁に鏡を使うようになっていく。
鏡を見て、人から自分がどう見えるかをつねに意識する、そうして、自分のうちに他者の視線をもつというのが人間である。
鏡の比喩は、他者がどう思ってるかという視点を自分の内部に取り込むということです。現実世界では、ほっぺたについたご飯粒を、「ほっぺたにご飯ついてるよ」と他者が教えてくれます。自分の事は自分では気づかない。ところが、鏡を見るとほっぺたにご飯がついていることがわかるわけです。
他者が現実にいなくても、自分がどう見えているかと言うことに気づくことができる。
このように、他者がいなくても、自分の内部で他者の視線を持つことができるということが重要です。
ある意味で、「人からどう思われているかを常に意識していることは、大いなる成長」と言えるのではないでしょうか。 人からどう思われているか、見えているか、を全く意識しない人は、おそらく、社会生活を送ることができないと思います。
~「私」の成り立たちにくい人々 ~
「私」の成り立ちにくさをかかえた自閉症の人がいる。
「私」が崩壊していく痴呆症や精神疾患がある。
私たちも、酔っ払ってわけのわからなくなることもあるし、
寝ている間は、毎日「私」を失っている。
「私」が成り立つことは「当たり前」ではない。
~ 自由の相互承認のために ~
自己中心性から完全に離れるのは不可能
「私」が存在しない世界など、人には考えようがない。「世界」そのものは、それを認知するべき「私」ぬきには成り立ちえないからである。 人間は誰しも自分の見方にこだわる自己中心性があって、自分の在り方を括弧にいれるのが容易ではない。
「私」のないゼロの地点から
子どもの目の高さになった程度では見えてこない世界がある(なぜなら、「私」が成り立つ人にとっては、幼児の時には既にその基本構図があるから)。 還元という発想は、子どもの目の高さよりもさらにもう一つ目線を低くしていく、あるいはさらに徹底して、ゼロまで立ち戻ってみるという発想である。
自分の当たり前を押し付けない
つねにゼロの地点に立ち戻ろうとする視点〈発達論的還元〉のもとに見れば、みんな同じ、だけどみんな違うのである。「みんな同じ」というところにこだわれば、非常に強迫的になって、自分の当たり前を相手に押しつけてしまう。「みんな違う」ことを肝に銘じて、自分の当たり前をいったん横においておくという発想が必要なのである。それによってはじめて人をありのままに理解することが可能になる。
質問
今日、「哲学するとは何か? 哲学するとは、難しい哲学的用語を使って、思考することだけが、哲学をすることではない。」というような議論の中で、私が「表現は違えど構造を取り出していることにかわりわない」的なことを言ったときに、先生は「構造ではなく本質ではないか」と言っていました。
今、竹田先生の本を読んでいたら、「内省して構造を取り出すと本質観取のよい練習になる」と書いていました。
「本質」とは何か?と考えると
やはり、構造を取り出すことなのではないかと思ったのですが
「本質」とは何か?という問いについて先生はどう思われますか?
まったく正しいと思います。
授業中に「自分の軸をブラさない」ことが大切、というやりとりがありました。
自分は確信を持っていることでも、人に強く言われると、そう思っていないのに受け入れてしまうのはよくないという話でした。
流されることと柔軟な思考を持つこと、頑固なこととブレないこと、が混乱していて、よく分かりませんでした。
上記の授業後の対話、今回の授業のまとめなどを通して少し理解できたように思います。
流されること | 自分の判断よりも周囲の雰囲気に合わせてしまうこと | |
柔軟な思考を持つこと | 直観検証をして自分の意見を修正していくこと | |
頑固なこと | 直観補強をして自分の意見にこだわること | |
ブレないこと | どんな時でも、私の視点からの「世界観」に立ち返ること |
我々は、成長過程の中で「自分の内部に他者の視線を持つ」という、社会生活を送る上でとても重要な能力を身につけてきました。これは、人間関係に必要不可欠な要素である一方、他者を意識しすぎたり、みんなの意見と自分の意見の境目がわからなくなったり、自分を苦しめる原因になることが往々にしてあります。
大切なことは、まず、私の視点から見える「世界観」を素直に取り出し観察すること。
「私はどう思っているのか」その在り方を見つめ、その構造を把握し「核となる部分」を自覚する。
その軸を持ちながら、他者の意見を受け入れ、間主観的(みんなも「なるほど、そうだね」と思える)な検証を繰り返すことで、自分が分かり、ブレない自分を持つことができるようになる。
もう少し言うと、お互いの言葉に反応するだけ、正しさを主張し合うだけの議論が続く場合は、両者が「自分の意見の本質」を捉えられていないのかもしれないと思いました。特に、重要な場面での意見交換や、交渉では「自分が譲れない軸」を示してこそ、両者の折り合いがつく建設的な議論が可能となり「自由の相互承認」に至るのではないかと感じました。
宿題
発達論的還元が難しい理由を述べ、それでもなお還元するべきだと筆者が主張するのはなぜか。端的に答えよ。
回答のお手本
発達論的還元が難しい理由は、誰もが自分の見方にこだわる自己中心性を持っているからである。
また、筆者がそれでもなお還元するべきだと主張する理由は、人間みな同じはずと考えて、自分の当たり前を人に押し付ける事をせず、自分と違う価値観の人をありのままに理解することが可能になるからである。
すなわち、発達論的還元ができれば、多様な価値観の人々への理解と受容が可能になるからである。自由の相互承認の前提条件がここにあると言える。
参加者の回答
発達論的還元が難しいのは、過去にさかのぼって人の記憶をたどったところで完全にゼロの地点に立ちきることはできないからである。それでもなお、 「私を還元」するべきだと筆者が主張するのは、各人の先入観に縛られないでいようという姿勢が、他者を理解するきっかけになると考えているからだ。
人間は誰しも自分の見方にこだわる自己中心性がある。 思い込みとも思わないほど当たり前となった前提は、「地」になっていて、「図」として意識にすら浮かび上がらない。その思い込みに気づかないまま、自分の当たり前を相手に押しつけてしまうことがある。それは、思い込みの絵に、その人の像を重ね、過不足を評価するようなものである。 人をありのままに理解するには、自分の「当たり前」をいったん横においておかなくてはいけない。それは、新しい紙に、その人を描くことに似ている。その時はじめて、これまで見えていなかった、新しい気づきがあるはずである。以上が還元すべき理由である。
発達論的還元が難しい理由は、ゼロの地点に立ちきることは原理的に不可能だからだ。しかし不可能だとしても発達論的還元という姿勢をとることによって、自己中心性から離れた立場で、はじめて他者をありのままに理解できると筆者は考えているからだ。
人間は誰しも自分の見方にこだわる自己中心性があって、自分の在り方を括弧にいれるのが容易ではないので、ゼロの地点から発想しようとすることに意味がある。みんな同じ人間だということを根底にはおきつつも、やはり「みんな違う」ことを肝に銘じて、自分の当たり前をいったん横においておくという還元の発想によってはじめて人をありのままに理解することが可能になるから。
人間には誰しも自分の見方にこだわる自己中心性があるため、自分の在り方を括弧に入れるのは容易ではない。 メルロ=ポンティが「還元にかかわる教訓は還元しつくすことは不可能だということだ」というのと同様に、個の 「私」のゼロ地点である卵に立ち戻って発想する発達論的還元においても、完全なゼロ地点には到達し得ない。 しかし、それでもなお還元しようとする立場を堅持することによって、「私」のいまの在り方を自明とするのではなく、種々の条件下でいろいろな在り方をする「私」のうちのひとつとして位置付けることができる。 私の在り方が発達段階や個々が生まれもった条件などによって異なるように、他者について考える上でも、「みんな同じ人間」ではあるが、同時に「みんな違う条件」のもとに生きている。 還元すること(自分の当たり前をいったん括弧に入れること)によってはじめて人をありのままに理解することが可能になる。
発達論的還元が難しい理由は、人は誰しも自分の見方(自己中心性)にこだわるからである。その見方が悪いのではなく、自己中心性のみの見方では、いつまにか自分の当たり前を相手に押し付けたりすることがある。つまり自分の見方や当たり前を一 旦、横に置いてみることが重要であり、ゼロの地点に立ち戻ろうとすることで、人をありのままに理解することが可能になる。だから発達論的還元が重要なのだ。