東大阪の学び場|マナビー

第6回「新・哲学入門」
竹田 青嗣 著(講談社現代新書)

講師:居細工 豊

キーワード

「言語」 「象徴思考」
「対象化」「内的思考」

第八章・第3節 抗弁・正当化・悪


*ポスト・フロイト派の優れた心理学者ダニエル・N ・スターンは、子が獲得してゆく 「言語」能力の意義について、つぎのように書く。
《そしてついに、言語と象徴思考の出現により、子どもはこれから先、現実を歪曲し超越する手段をもつことになるのです。彼らは過去の体験に反した期待を作り出せます。現実に反した願望を練り上げることもできます。
彼らは、現実的に連関した属性(母親との悪い体験)によって、人物や物体を表象することができます》(『乳児の対人世界 理論編』神庭 靖子・神庭重信訳、P211)

言語の重要な機能の一つは、非存在のものの存在想定を創出することである。
それは「存在しない対象」を他者との共通世界のうちに仮想的に存在させ、そのことで事象の領域を「いま・ここ」の直接性から大きく拡大する。だが、言語がもつさらに重要な意義は、「内的な思考」を可能にして自己と世界とを対象化する能力を飛躍的に高め、そのことで人間の「内面世界」を創り上げる点にある。言語の能力は、子に内的自由の領域を与えてその「自己意識」を世界の主人公として確立する。

*子の言語能力の習得は、あらたに登楊する家政ゲームのうちでとくに重要な意味をもつ。
「よい子」をめぐる価値承認ゲームにおいて、子は母-子のエロス的親密圏から離陸し、複数の人間のあいだの承認関係としての家政ゲームへと踏み入る。
家政ゲームにおいて子は、親‐子という絶対的権威ときょうだい間の相対的役割関係の中で、評価と承認を とおしてその家政的地位を確保しなくてはならない。
家政ゲームにおいて子は、占有、独占、所有、特権などをめぐってきようだいたちと競 合的な承認ゲームを経験しつつ、一定の「自由」を獲得してゆく。家政の承認ゲームの中 で、子は、新しい関係感情の領域、とくにきょうだい間での、優越感、劣等感、反感、嫉妬、恨みといった対他的感情世界の領域を生きることになる。

*家政の承認ゲームでは、関係的ルールの権限は親の手にある。きょうだいたちは家政に おける公準的な「よい‐わるい」に準じて、互いにその言動を、「わるい」「ずるい」などの言葉で批判しあったり、親に訴えたりする。そして、この家政の公準的ルールが、つぎには、子が親に対して抱く「抗弁」や「正当化」の内的根拠となる。
子はこう内言する。「お母さんは自分ではそうするのに、私にはそれを禁じる」「誰それにはそれを許したのに、私には許さない」「前はああいったのに今はこういう。それは公平ではない」……。子は、親の規範や義務の要求に対して、すでに存在する家政のルールに準じて理不尽さや不公正を見出し、これを内的に抗弁する。このとき子は、「私」という主語の主権的主体となるのだ。

エマニュエル・レヴイナスは、正しくもこういう。
《われわれは先に自我とは弁明であると述べたが、いかなる意味でこう述べることがで きたのかがこうして納得されよう。―発語する自我は、発語によってこの自我中心性がどのような変容をこうむろうとも、その自我中心性を構成する幸福それ自体のために弁護 するのだ》(レヴィナス『全体性と無限』改訂版、合田正人訳、P166)。
言語とそれによる内的な思考の能力によって、子は、たえず自己のうちで「自我中心性」を正当化し抗弁する、「主体的自己意識」となる。
ただし、親に対して自己を正当化し抗弁する私は、ただ自分の幸福の特権性を主張してそうするだけではない。「私という主語」は、自らが蒙った(こうむ)不当な不遇、孤独、悲しみにおいて、自己を世界の特権的な主人公として創り上げることがある。いずれにせよ、抗弁とそれにひそむ自己の中心性は、「言葉」によって他を批判し相対化する能力によってのみその正当性を打ち立てる。

*悪とは何か。子がその「無垢(むく)」から離脱して「悪」なる存在となるのは、いったいいかにしてか。
はじめの「わるい」は、いうまでもなく、母の子に対する一方向的規定として現われる。それは禁止と命令への不従順と反抗に与えられた「名」である。悪は、子が「よい 子」規範を内面化してゆく課題のうちで、これに対応して現われる。
はじめの素朴な悪(わるい)は、それが違犯であることを明確に知りつつ、欲望に抵抗 できないこと、つまり「なすべきこと」(当為)を順守できない「意志の弱さ」として現われる。 つぎに現われるのは、自己欺瞞(ぎまん)である。
ジャン=ポール・サルトルは、『存在と無』で、たとえば女性が男性の情欲の存在を無意識裏に否認すること、またカフェのボーイがカフェのボーイになりきろうとする努力のうちに自己欺瞞があると書く。しかし、「自己が自己を超え出る可能性」の単なる否認が自己欺瞞の本質とはいえない。
われわれが典型的に「自己欺瞞」と呼ぶのは、自己の行為や振る舞いがルールに違犯す ること、それが「悪」であることをうすうす知りつつ、この認知を自己に対して暗々裡に 打ち消そうとする場合である。 このケースをきわめて鮮やかに示す例が『カラマーゾフの兄弟』に登場する。イワン・カラマーゾフは、自分が、スメルジャコフの不気味な示唆」(父親が殺される可能性をイワンは本当は知っていた)を意識に昇らせなかったことに気づいて、激しく自己嫌悪する。自己自身のルール違犯(罪)についての自覚の黙過(レティサンス)、ここに自己欺瞞の核がある。 自己欺瞞には利得がある。子はこの黙過によって、自己中心性の自由と「よい子」の承認とを、ともに確保しようとするのだ。しかし、自己欺瞞は、違犯の明瞭な自覚の欠如と「よい子」にとどまろうとする暗黙の心性において、まだ自覚的な「自我中心性」の正当化にまではいたっていない。

*それがルール違犯であることを明瞭に自覚しつつ、それを「罪」と認めず、言語的な正当化によって無化しようとする試みにおいて、はじめて、自立的な自己中心性としての「悪」が現われる。 ここで人は、悪の是認を黙過するだけでなく、自他に向かって「悪を善といいくるめようとする」。私が誰かに嘘をつき、あるいは誰かを利用して自分の利得をうるとしても、このことには正当な理由があったのだと。
この内的抗弁と正当化は、ソフィストのように 「黒を白といいくるめる」言葉の力によってのみ、はじめて可能となる。 それゆえこういえる。動物に悪はないし、罪を犯すこともできない。たとえ他に害を犯したとしてもこれを正当化する思惟と言葉とをもたないゆえに。

*「うそ」や「いいわけ」や「正当化」がとがめられないまま首尾よく成し遂げられる経 験が続くと、子はそれを、誰にも姿を見られずに自己中心性を貫くギュゲスの能力の獲得とみなし、それを、自己の内的「優越」として自己承認する。この「優越」の力能に大きな優位が与えられ、かつそれが「良心の疾しさ」を凌駕するとき、人の自己中心的な「自由」への意欲は拡大し、内的な「悪」の契機が力をえて育ってゆく。つまり、悪の正当性 の「内面化」と「身体化」が生じる。

※ギュゲスは、ブラトン『国家』に登場する羊飼いで、白分の姿を消すことのできる不思議な指輪によって、誰からも批判されずに悪をなす自由の力を得る人物。人間の「自己中心性」の自由を象徴する人物として描かれている。

推薦図書

ジャン・ピアジェ

おさらい
Pick Up!
言語の重要な機能

《そしてついに、言語と象徴思考の出現により、子どもはこれから先、現実を歪曲し超越する手段をもつことになるのです。彼らは過去の体験に反した期待を作り出せます。現実に反した願望を練り上げることもできます。 彼らは、現実的に連関した属性(母親との悪い体験)によって、人物や物体を表象することができます》(本文より抜粋)

内的な思考の例

象徴 物で抽象的事柄を表現・代表させること。 例:ハト=平和

・表象 具体的イメージ … 例:ハト
・概念
・理念
抽象的 … 例:平和
対象化と「内面世界」の創出

言語の重要な機能の一つは、非存在のものの存在想定を創出することである。
それは「存在しない対象」を他者との共通世界のうちに仮想的に存在させ、そのことで事象の領域を「いま・ここ」の直接性から大きく拡大する。だが、言語がもつさらに重要な意義は、「内的な思考」を可能にして自己と世界とを対象化する能力を飛躍的に高め、そのことで人間の「内面世界」を創り上げる点にある。言語の能力は、子に内的自由の領域を与えてその「自己意識」を世界の主人公として確立する。(本文より抜粋)

対象化(Gegenstand 独語)
Gegen stand
〜に対して
〜に向かって
立てる
・即自存在 「物」それ自体
・対自
(自己の対象化)
自分を自分から切り離し、意識できるようになること。
(鏡に映った自分を見て、それが自分だとわかるようになること。)
・対他 他者にとっての他者としての自分の存在。
(羞恥心・見栄など、他者からどう見られているかについての自己意識)
カオス
コスモス
  

対象化とは自分から切り離して「前に立てる」こと。
これにより、あらゆるものごとが、意識され、見える、操作できる、理解できるようになる。

第4回『分節と存在喚起』

おさらい
Pick Up!

言語の本質構造
~意味の意味?言語の意味とは、
言語表現に含まれる内容である~

ソシュール言語学の紹介

言語(ことば=記号)の恣意性

シニフィアン 字や音など(意味するもの/記号表現) ・物(具体的)「uma」「
シニフィエ イメージ(意味されるもの/記号内容) ・意味(抽象的)「パカパカと走る動物」

言語はシニフィアンシニフィエが恣意的(気まま・必然でない)に結びついた記号(シーニュ)である。

【例】
シニフィアン
【日本語:chouchou/仏語:papillon】
シニフィエ 
【日:綺麗な羽の昆虫(汚いのは蛾)/仏:ヒラヒラ飛ぶ昆虫(蛾と蝶を区別する概念がない)】

言語の恣意性

「言語の恣意性」は言葉の音声・文字と内容(意味)の間の結びつきには必然性がなく、偶然(たまたま)である。つまり、言葉の表現とその内容の結びつきには、必然性がない。

言語による分節

世界にははじめから個別の事物があるのではなく、言葉によって区切られることで、存在可能となる(認識される)。 人はことばによって世界を秩序立てていく。

言葉がなにを指し、なにを意味するかは、物質世界のあり方とは独立しており、各々の言語システムの内部で決まっているにすぎない。 それゆえ、言語による分節の仕方は、国や地域によって異なる。

言語活動

ラング 言語を話す人びとに共通の言語規則
パロール 個々の発話行為
ランガージュ 言語能力・抽象能力・カテゴリー化能力およびその諸活動 (ラング+パロール)
※チェスで例えると、ラングはルール、パロールは個々人が実際にゲームすること。
先生から一言

個々に能力も経験も違う私たち人間が、言葉を交わし、今ここにない事柄について、共通了解を成立させ、意思疎通ができることは、ものすごいことだと思います。

言語の恣意性について
ー 先生とDさんとの質疑応答 ー

Dさん

文字と内容の結びつきには必然性がないというのは表意文字でも同じでしょうか?
ソシュールはヨーロッパの人なので表音文字を基準としているため、「文字は音を表す記号」という前提で文字と内容は恣意性がある。と言う主張が成立するのでしょうか?

先生

ヨーロッパにおける「文字は音を表す記号」という前提で文字と内容は恣意性がある。と言う主張が成立するのでしょうか? と言うのは、全く正しいと思います。
注意する必要があるのは、漢字が表意文字であると言うことです。
という事は、つまり、漢字と言う文字の表記と、その内容としての意味は、似ているという、必然的なつながりがあると言うことです。 山とか、川とか、などなど、記号とその意味は似ていると言う点で恣意的ではありません。

ところが、文字と言うのは、話したら、すぐに消えてしまう言葉を、記録するために発明されたものなのです。 つまり、文字が発明される前に、言語体系は既に存在していたわけです。 ですから、表意文字と言う特殊な文字が発明されたとしても、言語の本質は、変わらないわけです。

たいていの文字は、表音文字ですので、言語とその意味の結びつきが恣意的であると言うことについて、疑う人はあまりいないわけです。
さらに、ほとんどの漢字は、形声文字、つまり、意味と音との合成文字であることも重要なことです。
なぜなら、意味と音との結びつきには、全く必然性がないからです。

Dさん

「連続する音」と「意味」の結びつきに 恣意性がある というのは普遍的です。

音を基準としている点で、言語の恣意性は 「音と意味の関係」のみではなく、なぜ文字も含まれるのかという点を疑問に思います。
文字は後から発明されたのに言語の恣意性の定義に関与するのでしょうか?

先生

言語の恣意性はソシュールの大発見です。
それまでは言葉とその意味とは、何らかの必然的な結びつきがあると思われていたのです。
文字が発明される以前から言語は使われていました。
ですから、言語の本質である、表現とその意味の結びつきの恣意性は、文字発明以前からあったわけです。
後から発明した表意文字と、その意味に必然性があるからといって、言語記号とその意味の結びつきには必然性があると言うわけにはいきません。
表意文字は世界でも特殊な文字なのです。
今でも使っているのは、おそらく日本だけじゃないでしょうか。

文字は後から発明されたのに言語の恣意性の定義に関与するのでしょうか?について、
●ヨーロッパの文字はほとんど表音文字ですから、言語の恣意性の定義に文字を含めてもいいのです。 ちなみに、音と字をまとめて、言語学では、【能記】と言っています。もちろん、意味は、【所記】記される所のもの、と言います。

言語の普遍的本質を説明するのに、話し言葉の本質だけ説明するのはおかしな話です。
なぜなら、書き言葉も言語だからです。 日本の書き言葉(文字)でも、カタカナやひらがなは、すでに表音性しかありません。

Dさん

なるほど。耳が聞こえない人を想像したらわかりました。 文字だけでもイメージ(意味)と関連付けることができれば言語としての役割を果たせるので言語の普遍的本質の説明に文字を入れることが必要なのですね。

先生

素晴らしい

第5回 講師:居細工 豊
第2回 講師:居細工 豊
用語解説

家政の承認ゲームでは、関係的ルールの権限は親の手にある。きょうだいたちは家政における公準的な「よい‐わるい」に準じて、互いにその言動を、「わるい」「ずるい」などの言葉で批判しあったり、親に訴えたりする。そして、この家政の公準的ルールが、つぎには、子が親に対して抱く「抗弁」や「正当化」の内的根拠となる。(本文より抜粋)

※家政…役割関係

公準的
公準的 証明不可能な前提命題 ※家庭のルールなど(ダメなものはダメ)
公理 自明性あり ※論理的(1+1=2)

宿題

設問

第三節に、「抗弁とそれにひそむ自己の中心性は、『言葉』によって他を批判し相対化する能力によってのみその正当性を打ち立てる。」
とあるが、 なぜ「『言葉』によってのみ」なのか、その理由を丁寧に説明せよ。(200~300字)

回答のお手本

世の中の荒波に揉まれる前に、子どもはまず家庭内で権力者としての母親が示すルールに理不尽さや不公正があるのを見つけ、反抗を試みることを通じて、母親の庇護から独立し自立した自己を形成するきっかけをつかむ。
このきっかけをつかむことが「言葉」によってのみ可能となるのは、「言葉」すなわち「言語」が「名付ける」ことで「存在しない対象」をこの世に存在させるという機能を持つからだ。
「言語」のこの機能は、人間社会において「自分とは何者」であるのか、我々が自分自身の内面と対話し、自己を客観的に見つめ社会に位置付けることを手助けする点で、我々人間が自立した自己を形成する重要な手立てであると言える。291字

参加者の回答

回答 1

人間以外の動物は、他に害を与えたとしてもこれを正当化することができない。なぜなら思惟と言葉をもたないからだ。
つまり、言葉がなければ「内的な思考」ができず、自己と世界とを対象化することが困難で、「内面世界」を創りあげることができない。「内面世界」がなければ、自己の正当化は不可能である。よって、「『言葉』によってのみ」その正当性を打ち出すことができるのである。

回答 2

言語の機能によって内的な思考が生まれ、自己と世界を対象化することで、初めて自己の中心性が確立される。
またこの言語能力を通して、複数の人間の相対的役割関係の中で人は承認ゲームを経験し、公準的ルールを内面的根拠として「抗弁」や「正当化」を行うことになる。
つまり言語がなければ、抗弁や自己の正当性を打ち立てる行為もそれを行う自己の中心性も存在し得ないことになる。これが「『言葉』によってのみ」とされる理由である。

回答 3

人間は、言語と象徴思考によって、現実を歪曲し超越する手段をもつ。言語は自己と世界を対象化し、そのことで「内面世界」を作り上げる。
例えば、弟を叩いて「悪い子」と叱られた子は、自己中心性を正当化するために抗弁する。普段から弟は人のものを取ったりする。そんな悪い子を、叩く私は「正しい」。
このように、「悪い行い」を「正しい」と言い換えることができるのは、内面世界を作り上げ「自己を世界の主人公」として作り上げることのできる、言葉だけであるから。

回答 4

言語の重要な機能は、存在しないものの存在想定を創出することであり、「存在しない対象」を他者との共通世界のうちに仮想的に存在させることができ、そのことで事象の領 域を「いま・ここ」の直接性から大きく拡大する。
言語がもつさらに重要な意義は、「内的な思考」を可能にして自己と世界とを対象化する能力を飛躍的に高め、そのことで人間の「内面世界」を創り上げる点にある。
言語の能力は、子に内的自由の領域を与えてその「自己意識」を世界の主人公として確立する。
つまり、言語とそれによる内的な思考の能力によって、たえず自己のうちで「自我中心性」を正当化し抗弁する、主体的自己意識となるから。(258)

回答 5

家政ゲームの中で、子は承認ゲームを経験し、対他的感情世界の領域を生きることになる。
そして家政ルールの理不尽さや不公正を見出し、言語で親に反論を唱える。言語と言語による内的な思考によって自我中心性を正当化し、それを言語化するのである。
また、家政ゲームだけでなく、不当な扱いや孤独・悲しみに対しても、自己意識を世界の主人公として創り上げることがある。
つまり「言語ゲーム」だけが、人間社会の中で存在するものであるからだ。ただ、価値判断を間違えると、言語による内的な「思考」が「優越」に変化し、悪の正当性を生じさせることにもなる。(261)

回答 6

まず「うそ」における言語の役割とは、言語による思考や発言によって、非存在である「うそ」を、自他の共通世界の中に仮想的に創ることである。言語は悪を善といいくるめる能力を持っている。
そのため、言語は仮想的な共通世界を創る唯一の手段となる。
これが自己に対して行われたら、自己欺瞞になる。 つまり、人がうそをつくとき、まず言葉による他者の批判、相対化によって、自己に対して悪を善といいくるめる。(自己欺瞞)
やがてそれが主体的な自己意識(自己中心性)となって、他者に作用しようとするとき、他者に対しても、言葉による他者の批判、相対化という手段を使う。

回答 7

言語の非存在のものの存在想定を創出する機能が、事象の領域を「いま・ここ」の直接性から拡大させる。さらに「内的な思考」を可能にして自己と世界とを対象化する能力を飛躍的に高め、そのことで人間の「内面世界」を創り上げる。
家政の公準ルールに基づいた承認ゲームでは、子は理不尽さや不公正を見出し内的に自分の立場を堅持し反論(正当化・抗弁)する。
内的世界は言語によって創られるので、内的に抗弁・正当化することは言語によってのみ可能である。