東大阪の学び場|マナビー

第4回「私とは何か」
浜田 寿美男 著(講談社選書メチエ)

講師:居細工 豊

第二章
ひとまずゼロに戻ってー発達論的還元

1.還元ということ


看過されていたこと

第一章で、私たちはことばの世界のほぼ出来上がった姿を描いた。倒叙法の推理小説で言えば、すでに事件は起こり、その犯人もわかっている。求められるのは、この事件にまでいたった経緯を最初からたどりなおすことである。

しかしここからが容易ではない。
推理小説ならば、事を起こした当の犯人に語ってもらうことですむかもしれない。しかしことばの世界の言わば完成態に達したところから、その源を生まれたばかりの赤ちゃんにまでたどろうというとき、当の赤ちゃんにその出発点のありさまを聞いても、もちろん何も答えてはくれない。また大きくなってことばを自在に操るおとなになった人々に、それまでの経緯を尋ねても、何も憶えてはいない。いやそれ以前のところで、そもそもことばをどのようにして話せるようになったのかなどということを、誰もこれというかたちで自覚してはいないのである。

ならば赤ちゃんからおとなまでの過程をつぶさに観察するという手がある、そう言われる人がいるかもしれない。それはその通りである。事件はたった一度しか起こらないが、ことばを身につけ、ことばの世界に入り込んでいく過程は、誰もが繰り返す。その過程は何度でも繰り返し観察することができる。そしてもちろん、現にこれまでの言語発達研究者たちは、身近にいる赤ちゃんや子どもを素材にして、言語発達に関する膨大なデータを積み上げてきた。そこからは子どもがことばを獲得するにいたる経緯、またそこに影響するさまざまな要因について、多くのことが明らかになっている。しかし私には、そこになお大きな空隙があるように思える。

じっさい、前章でしつこく見た〈ことばのパースペクティブ性〉などは、これまでの言語発達研究でほとんど顧みられてこなかった。その結果、ことばの外形的な発達は描かれたかもしれない。そしてことばがコミュニケーションの道具として働いていく側面は捉えられたかもしれない。しかしそこではことばのもつ本来的な表現性、また他者とのあいだの本源的な対話性が、すっかり看過されてこなかっただろうか。以下、ここであらためて、子どもがこのことばの世界にいたる過程をたどりなおそうとするのは、ことばのもつ対話性の根をさぐるためである。

思い込みを取り去る

観察は観察者の視点に相対的である。観察者がいくら客観的な観察を標榜しても、観察は観察者の目を離れては成り立たない。とりわけ人間が人間を観察するとき、そこでは観察者が当初どのような人間観を持っているかによって、観察そのものに差が出てくる。ことばを身につけ、すでにことばの世界に入り込んでしまっているおとなが、ことばを身につけていく子どもの過程を観察するときもまた、どのような言語観をもってのぞむかで結果は大いに異なる。

私たちはすでに数十年を人間として生き、人間のことばを用いて、この世界を生きてきた。このなかで人間とはこういうものだ、ことばとはこういうものだという、一種の思い込みをもつようになった。もちろん思い込みとは言っても、まったくの見当はずれということはあるまい。そこには人間について、あるいはことばについて一定の真実性が含まれてはいるだろう。しかし逆にこの思い込みによって見えなくなっているところも少なくない。少なくないどころか、もっとも肝心なところがこれによって隠されてしまっている可能性も否定できない。それゆえ何事を考えるにせよ、まずはこの思い込みを取り去る作業が最初にこなければならない。

ここで私が思い込みを取り去る作業というのは、哲学で言う「還元」にあたる。ふつう日常生活で 「思い込みを取り去る」というのは、比較的容易に思い込みだと気づきうるものについて、これを考え直すという程度のことだが、ここではそもそも思い込みだとも気づかないような思い込みが問題となるのである。

還元というのは、ちょっとたいそうな言い方で、ふだんこんなことばを使うことはあまりないと思うのだが、あえて辞書的に説明すれば、その文字の通り「元に還る」ということ。日常語で「白紙還元」というと、白紙に戻すという意味になるが、そのニュアンスがここでの還元に近い。じっさい私自身、物事を白紙に戻して見てみるということが、発達の問題、とりわけ障害を持っている子どもたちの問題を考える場合には大事ではないかと思ってきた。

そこで本章では、まずこの還元ということにこだわってお話してみたいと思う。じっさい私たちはおとなになるまでの二十年、三十年の過程で、はかりしれないほどの量の思い込みを身にまとってきた。その思い込みをいったん白紙に戻してみなくては見えてこない世界がある。

「ことばがなぜしゃべれないのか」という問い

たとえば三歳になってまだ片言もしゃべれない子どもがいるとする。ことばの発達には個人差がかなりあって、三歳でまったくしゃべれなかった子どもが、四歳、五歳で遅れを取り戻して、他の子どもと区別がつかないくらいまでになることもあるのだが、もちろんそうした例は多くない。

そこで三歳でまだしゃべれない子どもを見ると、私たちはたいてい、この子は三歳にもなってどうしてしゃべれないのかと思う。この年齢でまったくことばが出ていなければ、なんらかの障害が予想されることから、その原因を探り、なんらかの手立てがないものかと考えるわけである。

これはごく自然なことで、親なら当然そう思うし、通園施設や相談機関でそういう子どもに出会う専門家たちも同じように考える。しかし、じつはこのように「この子はどうしてしゃべれないのか」と問うことで、もう一つの大事な問いを封じているのだが、私たちはそれになかなか気づかない。

たちが「どうして…」という問いを立てるとき、たいていはそこにある前提がおかれている。しゃべれない子どもを見て、どうしてこの子はしゃべれないのかと問うのは、しゃべれるのが当たり前という思いがそこにあるからである。

しかし、しゃべれるのが当たり前というこの私たちの日常的な感じ方にどれだけの根拠があるのだろうか。むしろこの感じ方自体、私たちが完態(生物学的な意味でできあがってしまった状態)にすでにながくどっぷり浸かってきた結果なのではないか。障害を持たないおとなたちは、ふだんそれと意識することなくことばをしゃべり、また聞いている。そのためにことばを使った生活が、当たり前とも思わないほど当たり前になっている。しかし、それはほんとうに当たり前なのか。

一歳から二歳にかけての時期にしゃべるようになる一般の子どもたちも、元をたどればゼロ歳の生まれたばかりのときがあった。そのころには当然なにもしゃべれなかった。さらにいえばその前には胎児の段階があって、そこではおよそことばの「こ」の字もありえない。そしてさらにその前までいけば、だれもが卵だった時代がある。もちろん卵も最初からあるわけではなく、なにかでできてきたものなのだから、そのもう一つ前もある。

そうしてみるとかぎりなくゼロに近いところからはじまって、卵が形成され、これが受精し、受精卵となったものが徐々に大きくなってきて、ある段階でこの世の中に生まれ出て、一定の時期をへて子どもはしゃべるようになっていくのである。おとなになってしまえば、しゃべるのはもう当たり前だが、こうして遡れば、これ自体がまことに不可思議な過程をへてようやく到達した世界なのだということに気づく。

私たちはなぜことばがしゃべれるのか ー ゼロからの視点

しゃべれるのが当たり前になった完態からの視点で見れば、どうしてこの子はしゃべれないのかということになるが、私たちだって元をたどっていけば、しゃべれなかった時代があり、さらに遡れば単細胞の卵だった時代がある。そこでこの卵だった元のところから考えてみたとき、今度はどうして私たちはしゃべれているのかという問いが、大きな不思議として持ち上がってくる。前者が完態からの視点だとすれば、これはまさにゼロからの視点である。

人はどうしてしゃべれるのか。これはじつに難しい問いである。私がだれかに向かってしゃべる。 ただの音ではなく、分節した音韻を口から発する。それがどんなふうにできているのか、私自身よくわかっていない。にもかかわらず、苦もなくやれているように自分には感じられる。そしてその私の発した音声が相手の耳の鼓膜を叩いて、それが単なる音としてではなくて、なんらかの意味を持つものとして聞こえてくる。

どうしてなのか。そう問われて、説明できる人がいるだろうか。辞書と文法書にあたるようなコード・システムがあって、これによって記号化(エンコード)し、解読(デコード)するのだと答えたとしても、それはただことばがしゃべれ、ことばが理解できるということを専門的な用語で言い換えただけのことで、実質的にはなにも言っていないに等しい。いまの言語心理学や言語発達心理学のいろんな知見を全部洗いざらい出してきても、どうして人がしゃべれるのかという本質的なところは説明できていないのである。

このことは、ことばにかぎらず人間のあらゆる現象について言える。人間という生き物として、すでに出来上がってしまったところで生きている私たちは、この完態にいたるまでの形成途上の子どもを見、あるいはなんらかの障害を抱えている人たちを見るとき、どうしても自分たちの出来上がってしまった状態を前提にして、子どもや障害をおとな(完態)からのマイナスとして理解しがちになる。そうして自分たちの側の当たり前さを疑わない。しかしそのことがどれだけ私たちの生活世界をせばめていることであろう。

その意味で自分たちの見方そのものを疑って、元に還り、できるかぎりゼロからの視点に立つこと、そのことが私たちの出発点の姿勢として大事ではないかと思うのである。

2.志向性(向かう力)の発見

「障害」との出会い

人はもともと卵だった。
あえてそのゼロにまで還ってそこから見てみると、卵からはじまった人間が、どうしてこんなにややこしい複雑なことがやれる生き物になったのだろうかと、心底不思議な気持ちになる。そうした発想でもって、人間の現象をもう一度見直してみようというごく素朴な発想を、私はここで発達論的還元と呼んでおく。

言ってしまえばごくごく単純なことだが、当たり前を疑うというのは、人が思うほど容易なことではない。当たり前すぎれば、そのことが意識の上にあがってくること自体がない。それをあえて意識の上に持ち上げてくることがけっこうむつかしいのである。当たり前のことを不思議に思うようになるについては、やはりきっかけが必要である。そのきっかけの最大のものは「障害」との出会いであった。

もう二十年あまりも前になるが、ある療育施設で研究グループを組織して、重度障害の子どもたちを見せてもらっていたことがある。私自身、そこで重い障害をもつ子どもたちと出会ったことが、ここで言う還元の大きなきっかけとなった。そのなかでとくに印象的だった例を一つだけ取り上げる。

どうして物を見てくれないの?

小頭症という診断を受けていたFちゃんと私たちが最初に出会ったのは、彼女が二歳の時である。かなり重度で、まだ支えなしでは座れず、ふだんは床に寝ころがっている。ただ寝返りができるので、ゴロゴロ転がって移動する。姿勢運動面の発達で言えば六、七ヵ月というところである。ただ姿勢運動面の遅れよりも気になったのは、周囲のものの認知だった。

というのも、ふだん起きているときは目をパッチリあけて、なかなかかわいい子なのだが、その彼女にこちらが物を差し出しても、まったく見てくれない。見てくれないというのは見ることを拒否するというのではない。物を差し出しても、まるで何もないかのごとくで、それを注視しないし、その物を動かしても、まったく目を動かさないのである。

それに声をかけても、返事はかえってこない。身体を触れ合わせようとすると、皮膚感覚に違和惑があるらしく、なにかこちらを避ける感じで、できるだけ接触面を小さくしようとする。見てもくれないし、聞いてもくれないし、触ると避ける。その彼女に対して、私たちは関わる糸口が見つけだせない。Fちゃんには外の世界と関わる窓が開かれていないという感じなのである。

そういう状態だから、とりあえずは身体接触を中心にした。プレイにならざるをえないのだが、ともあれそんななかでFちゃんが身の回りの世界への窓をどのようにして開いていくようになるのか、その点に注目して見ていこう、なかでも目に注目して、彼女が私たちの差し出す物をどうやって目で見るようになるかを追っていこうということになった。じっさい目で物を見、また私たちを見てくれるようになれば、そこから私たちとの接点もしっかり持てるようになるはずだ。そういう思いで、目の使い方を継続的に観察することになったのである。

そこで新K式(京都児童院式の改定版)の注視・追視テストの道具を使うことにした。道具と言っても、直径10センチメートルほどの赤い輪を紐でつるしただけのもので、これを仰向けに寝ている赤ちゃんの胸の上方30センチメートルくらいのところに差し出して、ちゃんと注視するかどうかを見る。見れば次には右に90度動かして目で追うかどうか、左に90度動かして目で追うかどうかというふうに、追視できる範囲を調べる。発達検査の生後一、二ヵ月の課題として設定されているものである。

この検査をプレイの終わったあと必ずやるということにして観察を続けた。ところが、二歳の時から始めて、一ヵ月たち、ニヵ月たち、三ヵ月とたっても、Fちゃんはいっこうに見てくれない。母親に聞くと家でも物を目で見るということはまったくありませんという。
そこで私たちが考えたのは、この子はいつも目をパッチリ開けているのに、どうして物を見てくれないのかということ。私たちならふつう目を開ければ、必ず何かを見ている。そんなことは当たり前すぎて、まったく疑うことがない。それゆえFちゃんのような子どもに出会うと、目を開けているのになぜ物を見ないのかと思ってしまう。

赤い玉 ー どうして物を見るようになったのか?

ところが、そうして十ヵ月が過ぎて、三歳ちょっと前になったときのことである。
その日も、いつものように四十分ほどプレイのセッションを終えて、今日もいつもと変わらないねと言いながら、それでもともかく注視・追視の検査はやろうという話になったのだが、どういうわけかその日にかぎって検査用具が見あたらない。別に厳密に発達検査をして発達年齢を出そうなどと考えていたわけではないので、まあ何か代用の品でいいだろうということになって、プレイルームのなかを探してみたところ、運動会の玉入れに使う赤い布製の玉が出てきた。次いでそれをつるす紐はないかと探してみると、うまい具合に細い針金が出てきたので、これを赤い玉にブスッと刺して、にわかの検査用具ができた。ふだんのものとちょっと違うけれどもかまわないだろうということで、これをFちゃんに差し出してみたのである。

すると驚いたことに、Fちゃんは突然その赤い玉を追いはじめるではないか。目の前に差し出すと、それをぎゅっと見る。その様子をそばで見ていた母親も、こんなふうに見るのははじめてだという。そればかりか、赤い玉を右に九〇度動かすとそれを追う、左に90度動かすとこれも追う。さらに頭の上にやっても追うし、胸元から腰の方に下ろしてきてもずっと追う。さらには視野から赤い玉がそれて、彼女の足元の方に行ったときには寝返りまでして見たのである。

それまでものを見る気配さえなかったFちゃんが、こんなふうに突然ものを見はじめたものだから、私たちはびっくりしてしまった。そしてびっくりした拍子に、どうして見るようになったのだろうと思ったのである。

なぜ外のものは外のものとして見えるのか?

ところが、Fちゃんがどうして見るようになったのかと考えてみると、これがまたよくわからない。それは単に突然見るようになった理由がわからないということではない。そもそも私たち自身が目でものを見て、それを外のものとして見ることができるのはなぜか、そのものが動いたときにちゃんとこれを追視できるのはどうしてなのかという、その根本的なところが非常に不思議に見えてきたのである。

眼球から入った光刺激がどうやってものとして見えてくるかについて、解剖学的には図2–1のように説明されている。まず外のものに当たってはねかえった光が、目のレンズを通って屈折し、それが網膜上に映される。網膜というのは神経細胞の末端が網の目状に組織されたもので、ここで光刺激が神経電流に変換され、これが視神経索を通って後頭葉に運ばれて、そこで解析されて、ものが見えるというわけである。

じつは、このような視覚にかかわる解剖学的な構造があきらかになったときから、ものが見えるということについて重大な問いが立てられていた。

目

じっさい目でものを見るということがいま言ったような構造のもとで成り立つのだとすれば、外のものに当たってはねかえった光刺激を最初に受けとめるのは網膜である。私たちの身体組織で言えば、最初にレンズを通過するのだが、このレンズはただ光学的に光を屈折させるだけで光を感受しない。最初直接に光を感受するのはあくまで網膜である。

そうだとすると、どうして人は網膜の上にものを見ないのか。私たちは外のものを見ているように思っているが、ちょうど目の網膜にあたるところにテレビの受像機のようなものがあって、そこにものを見てもよさそうなものではないか。なのに、なぜものは外に見えるのか。奇妙な疑問にみえるかもしれないが、理屈の上では解けない疑問である。網膜を刺激したものがその外からの光によるのだということを直接教える手がかりは、さきの解剖学的な構造のどこにもないのである。

Fちゃんが突然ものを見つめ、目で追うようになったのを見て、私たちは昔の人たちが立てたこの古い問いを思い出した。この問いに対してかつて経験論の立場に立った人たちのなかには、こんな説をたてた人がいる。

たしかにこの世に生まれ出た赤ちゃんにとって、最初のうち目で見たものが外のものとして見える理由はない。それゆえ最初のうちは網膜で光の刺激を受けとめているだけであろう。しかし、赤ちゃんは光の刺激を受けとめて網膜にその像を映すとき、同時に手を伸ばしてそのものをつかむという経験をするようになる。そうして手でつかんだものを目で見るという体験を繰り返す。つまり手でつかんで外だとわかったものを目でも見るということを繰り返す。そこで、やがてものが外に見えるようになるのだというのである。

この理屈、なんとなくもっともらしく見える。ところがもう一つ突きつめると、これもわからなくなる。手でもって握ったものがあるとする。たとえばコップを握る。握ったとき触覚を感じる。ふつうこのとき私たちは外のものを握って、それを手に感じているというのだが、触覚そのものをみれば、これまた皮膚の表面にある触覚器官が感じているだけではないか。とすれば、どうしてそこに外のものを握ったと感じるのか。ただの皮膚の表面の感覚以上に「外」の何かを感じる理由はここにもない。触覚についても視覚の場合とまったく同じ疑問が出てくることになるのである。

解剖学的な構造で考えるかぎり、視覚も聴覚も触覚も、目の網膜や内耳の蝸牛(かぎゅう)神経、あるいは皮膚の表面に分布している触覚神経にその刺激を感じているにすぎない。そのとき感覚器官の先端が感じているとは思わず、それを外のものとして感じるのはなぜなのか。このこと自体は説明のしようがない。にもかかわらず、私たちは疑いもなく外のものを外のものとして知覚的に捉えている。

向かう力

心的現象としてはこうなっているが、その説明はつかないといった現象が、この例にかぎらず突きつめてみればいくつもある。そういう説明のつかないことをわざわざ考えることはないのではないかと言う人もいる。しかしじつのところ、こうした現象こそが私たちの生活世界のもっとも基底的なところを支えているのである。

じっさい、外のものを外のものとして見るというようなことがどうしてできるかはわからないけれども、逆にそうした私たちにとっては当たり前すぎるほどのことが、当たり前のものとして実現していない人がいる。赤い玉を目で追うようになる以前のFちゃんがまさにそうだった。ではそのころ、彼女の世界はいったいどのようなものだったのであろうか。それこそ周囲からさまざまのものが差し出されても、ただそれを網膜に受けとめているだけで、それを外のものとして捉え、追うことがない。それが私たちの世界とどれほど異なっているかは想像にあまりある。

これはFちゃんのように重度の障害をもった子どもたちに限った話ではない。よく考えてみると、生まれてから一ヵ月ぐらいまでの赤ちゃんはみんな同じような状態にいる。目はパッチリあけていても、外のものを外のものとして見ているという感じがない。ものを見ている目をしていない。そういう段階から一ヵ月あるいは一ヵ月半ぐらいになると、ようやくものを見ている目になってくる。ここのところで赤ちゃんは大きく飛躍する。六七ページの新生児の写真と生後一ヵ月を過ぎた赤ちゃんの目とを見くらべてみると、その差がはっきり見える。この変化のなかで、赤ちゃんの生きる世界そのものが大きく変化していることは明らかであろう。

外のものを外のものとして見る、あるいは聞く、触れるというのは、世界を生きる出発点と言ってよい。そのようにして人は外のものに向かう。それを「向かう力」と私たちは名づけてみたが、この力があってこそ生き物はみな周囲の世界とかかわって生きていくことができる。私たちがおのおのその身体においてそなえているこの構図こそは、生きていくことの大前提なのである。

赤ちゃんの志向性

こんなことは当たり前すぎて、ふだんは疑わない。いや疑うことさえも思いつかないと言ったほう方がよい。しかしそうしたことが、私たちが生きるこの世界のもっとも基底的な構図をなしている。じつは、これこそが現象学でいう志向性に相当するものだということに、もはや多くの人は気がついているだろう。

フッサールは意識を定義して、「意識とはなにものかへの意識である」と言う。意識があるとかないとかいうと、ふつうは目覚めているかどうかという覚醒レベルをイメージしてしまうが、私たちの意識は単にそのような生理学的なレベルのものではない。なにものかへと向かわない、ただの純粋な覚醒などというものはない。意識しているということは、かならずその意識の対象となるなにものかへの意識なのである。私自身、このことをフッサールの著作を通じて知ってはいた。そして理屈で納得はしていた。しかしFちゃんが突然ものを目で追いはじめるのを目撃して、なるほど志向性とはこのことかと、あらためてその意味するところがストンと腹におちるのを感じたのである。

現実のものとしてある奇跡

外のものを外のものとして捉え、そこに向かうということが、私たちが生きていくうえの大前提になっていて、それがたいていの場合は生後1ヵ月から生後1ヵ月半ぐらいのところでととのいはじめてくる。ただ、重度の障害をもつ子どもたちの場合はそれがなかなかうまく出てこない。

この向かう力がいったい何であるのかは、大脳生理学がいくら進歩してもおそらく説明できるようにはなるまい。自分の身体の内と外という区別があって、世界の出来事を外のものとして捉えるという、まったく単純な心的現象が、いかなるメカニズムによって成立しているのかは大脳生理学の範疇を越えている。ただの物質にすぎない脳には、〈内〉とか〈外〉とかいう心的現象の入る余地はない。そうしてみると、なぜかはよくわからないけれども現にそうなってしまっていること、そういうことが私たちの世界の欠かすべからざる契機になっているのである。なぜそうなっているのがわからないけれどもそうなってしまっている大事な現実。それは私たちにとって言わば奇跡みたいなもの。ただこの奇跡にはそれを支える条件がある。

奇跡といえば、ふつう、現実には起こりえないようなことが起こったことをいう。オウム真理教の教祖が言ったように、飛べないはずの人間が空中に浮揚したりできれば、それはまさに奇跡であり、超能力である。人はそうした奇跡や超能力を喜ぶ向きがあるが、ここで言っている奇跡はそういう奇跡ではない。ごく当たり前に私たちがやってしまっているけれども、その根拠をただしてみるとよくわからない。その種の奇跡が私たちのまわりにはたくさんあって、それが私たちを支えているのである。

その意味では外のものが外のものとして見えるというのも、じゅうぶんに奇跡である。これにかぎらず、私たちはたくさんの奇跡を生きている。しかしこれらの奇跡にはその実現のための条件がある。外のものが外のものとして見えるということについても、なぜそのようなことが成り立つのかを説明はできないけれども、少なくともその働きが身体のうちのなにかによって担われていることはまちがいない。まるで奇跡のようなことではあるのだが、それが身体の働きの結果であることにかわりはない。

身体はナマモノである。ナマモノである以上、壊れもすれば、うまくととのわないこともある。したがってこの奇跡は実現しないこともありうるということになる。現にFちゃんについては、外のものに向かうというその奇跡が長く実現しなかった。それがなぜなのかについて私たちは答えを持っていない。

ならばそんなことは問うても仕方がないことだと思われかねないのだが、そうではない。なにしろこの奇跡としか言いようがない出来事が、私たちのもっとも基底のところで私たちの世界を支えている。もしそこがととのわないことで、世界が広がっていかない子どもたちがいるとすれば、せめてこの不思議の部分に問題があるのだという視点くらいはもたねばならない。そうでなければ、私たちがこの子どもたちと関わっていく窓はけっして開いていかないと思うからである。

外のものが外のものとして見えることを当たり前として問題にしないのではなく、むしろそれこそが不思議なのだという視点にたつことで、その子どもたちとの関わりの糸口を模索する。それでも子どもによってはいっこうに外のものを外のものとして見るようにならないかもしれない。しかしこうした視点に立つことで、少なくとも私たちとこの子どもたちとのあいだにあらたな関係が広がっていく。そういうものだと思うのである。ゼロからの視点というのは、単に研究の視点という以上に、種々さまざまの条件を背負って生きるものどうしの、一つの生きるかたちではないかとも思う。

目は二つあるのになぜものは一つに見えるのか

外のものが外のものとして見えるという話は、あまりに当たり前で、問いを立てることすら容易でないが、これに関連してもう少し私たちにも身近な現象を取り上げてみたい。

私たちは目を二つ持っている。ところがその二つの目を開いて外の世界を見たとき、ものは一つに 見える。これまた当たり前のことだと思うかもしれないが、生理学的に見たとき、これがけっして当たり前ではない。

じっさい右目と左目とは同じ位置についてはいない。その間には六、七センチメートルの距離がある。したがってものを見るとき右目と左目でそれだけ視点がずれていることになる。ということは、右目で見ているものと左目で見ているものとは同じではないのである。なのにどうしてものは一つに見えるのか。まるでなぞなぞのようだが、これも立派な問いである。

この問題について、生理学的には網膜の上に右目左目でそれぞれ対応点があって、その対応している点どうしで一つに見えるのだというような説明がなされている。たしかにそれで説明できるところもある。

ただ見える世界は三次元、網膜は二次元である。二次元の網膜上で対応する点があっても、この三次元空間でものが一つに見えるという説明にはならない。 じっさい、たとえば人差し指を目の前30センチメートルくらいのところに立てて、その指の先に焦点を合わせて見る。すると指の先は一つに見える。いまの説明で言えば、このとき右目の網膜と左目の網膜で、その指先が作る像が対応しているということになる。ところがこのとき指の先にしっかり焦点を合わせたまま、その指の先の向こうに見えるものに意識を向けると、そのものは二重に見えていることに気がつく。つまり左右で一点を対応させることはできても、視野の点のすべてを対応させることは論理的に不可能なのである。それにもかかわらず、ふつう私たちの視覚世界が二重に見えることはない。それはなぜであろうか。

この問いについても答えがあるわけではない。しかし私たちは、ときに目の前の世界が二重に見えることを経験する。そこから重要な論点を引き出すことができる。

世の中が二重に見えるとき

世の中が二重に見えるといって、すぐ連想するのは酒に酔ったとき。それも生半可な酔いではなく、ほとんど泥酔に近い状態になったとき、どうしても目の焦点が合わず、世の中がグルグル回ったり、二重になったりする。それからもう一つは、睡魔に襲われたとき。ふつう眠くなったら、まず瞼を閉じて眠る。それゆえ世の中が二重に見える体験を味わうことはない。ところがどうしようもなく眠いのだが、瞼を閉じて公然と眠るわけにいかない場面がある。

たとえば講義中に眠くて眠くて我慢できない、だけど前の方の席に座ってしまったために講師とチラチラ目が合って、眠るわけにはいかない。人はそんなとき、とにかく目を開けておこうとする。ところが睡魔には勝てない。そこで瞼は開いているのだが、意識の方が遠くなるという瞬間がある。その瞬間、目が焦点を失って、本人にとっては世の中が二重に見える。その様子を講師の側から見ると、それまで焦点を合わせて自分の方を見ていた受講生の目が、ふっと揺れて、焦点を失う。平たい言い方をすると、何も見ていない目になる。つまり、先の言い方を借りれば、目が〈向かう力〉を失うのである。

通常私たちは、瞼を閉じて、それから眠る。たいそうなようだが、これが入眠の手順で、たいていはその手順が崩れることはない。しかしいま述べたようなケースでは手順が逆さまになって、虚ろな目を外にさらしてしまう。そのとき世の中が二重になって見える。眠くなるということは、言い換えれば、外のものに対する関心を失ってしまうということ。そのとき、なおかつ瞼は開けているというときに、網膜に映ったまま世の中は二重になる。とすれば世の中を一重に見せているのは、その世の中のものへ〈向かう力〉があるからだということになる。

赤ちゃんが生後一、ニヵ月で、外のものを見るようになるのも、単に視覚器官の成熟の問題ではなく、むしろ〈向かう力〉の育ちに関わることだということが、こういうところからも明らかになる。先の六七ペーシに二枚の赤ちゃんの写真をかかげて、その目に〈向かう力〉を感じるものと、それを感じることのできないものとを比較したが、その違いは赤ちゃんの側からすると、さらに大きいものだということがわかる。目に〈向かう力〉が宿りはじめるということは、赤ちゃんが世の中に向けて関心を注ぎはじめたということてあり、そこのところで赤ちゃんの目には一重の世界が像を結びはじめているのである。

外のものに向かう。そのことではじめて外のさまざまなものを操り、さまざまの人と出会う世界が、子どものなかに広がっていく。あまりに当たり前でふだん問題にもしないこの現象が、人間の心的世界のもっとも基底にあるということを、こうした細やかな現象からあらためて確認できる。

東大阪の学び場|哲学の教室
おさらい
Pick Up!

「還元」※精選版 日本国語大辞典 より

①事物をもとの形や性質、状態に戻すこと。
②結果として得られたものを、原因となったところに戻すこと。

「現象学的還元」※エドムント・フッサール

客観的な実体が「ある」から「認識する」という、自然的な考え方や先入観を一旦停止し、「意識の働き」そのものを明らかにするための哲学的手法。 絶対的な客観的実体・事実というものは存在せず、 あらゆる認識行為は「個々人の“主観的な確信”である」と考えること。

自然的態度と現象学的態度(還元)

「志向性」※エドムント・フッサール

エドムント・フッサール(Edmund Husserl)の志向性(Intentionalität)は、彼の現象学における最も重要な概念の一つ。この概念は、意識が常に何ものかに向かっているということを表す。

志向性とは、意識が持つ本質的な構造を示している。この構造は、以下のように説明される。

意識は常に「何ものかについて」の意識である。
例えば、「リンゴを見る」という行為は、意識が「リンゴ」という対象に向かっているという事態を指す。
何かを記憶する、想像する、愛する、憎むなど、意識のあらゆる形態は、常に「対象」に向かっている。
対象が存在するから主観が「認識」するのではなく、意識が「対象」を志向することで、対象は「認識」される。

「意味について」分節と意味世界の喚起

宿題

設問

「還元」と「志向性」について本文から読み取れる意味と価値を述べよ

回答のお手本

本文における「還元」の意味は、各人が個々の人生を歩む中で無意識のうちに取り入れた「思い込み」を取り去る作業のことである。その価値は、さまざまなことを「できるようになっている、今の視点」からものごとを見るのではなく、もともと「できていなかった、ゼロの視点」からものごとを見ることで、新たな気付きを得る可能性を確保できるところにある。

本文における「志向性」の意味は、われわれが生きるこの世界のできごとを自分の内なるものと区別し「外のものとして捉える」心的現象のことである。その価値は、各人がそれぞれ、世の中のできごとや人々に関心を持って生きていく基盤が整うところにある。(281)

回答のお手本2

還元とは、当たり前ではないことを完態からのマイナスとして理解するのではなく、当たり前であることこそが不思議なのだという視点に立つことである。この視点に立つことにより、それが当たり前ではない人との関わりの糸口を模索でき、その人との新たな関係が広がることが還元の価値である。
志向性とは、世界の出来事を外のものとして捉える心的現象である。人は世界の出来事を外のものとして捉えることで、外のさまざまなものを操り、さまざまな人と出会うことができる。このように周囲の世界と関わって生きていけることが志向性の価値である。

参加者の回答

回答1

還元とは、自分の思い込みを取り去り、ゼロからの視点で物事を捉え直すという意味である。
自分が当然と思っていることを前提にすることで見落としがちな大切なことに気付くことが、人の機能や障害を正確に観察する上での還元の価値である。

また人には、自分の身体の内と外という区別があり、世界の出来事を外のものとして捉えている。志向性とは、このような心的現象を指す。
志向性により人は外の世界に関心を持ち、意識の対象を作ることで行動が生まれ、世界との関わりが始まる。これが志向性の価値である。

回答 2

還元
意味:思い込みを取り去る作業であり、白紙に戻すという意味。
価値:自分たちの見方を疑い、できる限りゼロからの視点に立つことができることで新たな発見や気付きを得ることができる。

志向性
意味:見る、聞く、触れるという世界の出発点、まさに人が外に向かう力という意味
価値:社会のさまざまなものを操り、さまざまな人と出会い、世界を広げていく土台ができること。

回答 3

還元の意味と価値
還元とは自分の思い込みを取り去り、ゼロからの視点で考え直すこと。
そのことは、子供や障害を持つ人、またそれに限らず全ての人、種々さまざまの条件を背負って生きるものどうしが、プラスマイナスの物差しで人を測らず、それぞれの関係世界を広げていく基礎となる。

志向性の意味と価値
志向性とは人間が「外の世界のなにものかへ向かう意識」である。
例えば二つの目を持つ人間の視覚世界が、二重ではなく、一重に見えることは生理学的な論理では説明がつかない。にもかかわらず、それが可能となるのは、志向性を持つためである。
人間は、心的世界の基底に「向かう力(志向性)」を持っているからこそ、自分の身体の内と外という区別を持ち、周囲の世界と関わって生きていくことができる。

回答 4

還元
意味:自分がふだん意識することすらないほど当たり前と思っている日常的な感じ方や思い込みを取り去る作業
価値:ゼロからの視点に立つことによって、今までは気がつかなかったことに気がつくことができること

志向性
意味:外に「向かう力」(外に向かう意識)
価値:外の世界との接点や関係性をもつことができる基盤となること

回答 5

ことばは身体をもつ生身の人間どうしの間で交わされる対話から立ち上がるのである。
まさに自身の視点を他者の視点へと変えることができないはずである。
ところが、文章の作り手はことばで視点の置換を行い、読み手は自然に視点の置換を行い、読み取ることができることも不思議だが、実はそのこと以前に、生活世界において他者の視点でいきようとしているから。

回答 6

還元とは、当たり前さを疑って、思い込みを取り去るということ、つまり「元に還る」ということである。
その価値は、常識を疑って、ゼロからの視点に立つことで、物事の本質を捉える出発点に立つことができる点にある。

志向性とは、外のものを外のものとして見るということであり、「向かう力」と言って良い。
この力があってこそ、生き物はみな周囲の世界とかかわって生きていくことができる。つまり世界を生きる出発点としての価値を持つ。