東大阪の学び場|マナビー

第14回「新・哲学入門」
竹田 青嗣 著(講談社現代新書)

講師:居細工 豊

キーワード
「世界の一般構成」「現前意識」

第四章 世界認識の一般構成


1.世界の一般構成

*一切の世界認識の理論をそこに包括的に還元し基礎づけるような、「世界認識の一般理論」というものを構想できるだろうか。
フッサールは、一切の認識を確信構成の構造として示しうるという現象学の根本方法論が、この課題を実現すると考えた。そしてその全体構想を『イデーン』第9節で大きく示している。
第一の区分は「事実学」(ぃわゆる自然科学と人文科学)と「本質学」であり、「本質学」は「形式的存在論」(数学や論理学)と「質料的存在論」に分かれ、質料的存在論が人文領域の本質学の中心部にあたる。
しかし、すでに確認したが、人文領域の「本質学」の基礎づけとしての現象学の構想には重要な弱点がある。それが「価値の哲学」の基礎づけの領域である。そこで私は、現象学における「世界認識」の一般理論を、欲望論的な「世界認識の一般構成」の構図へと位相変様し、これに簡明な解説をくわえてみようと思う。(P90の図を参照)

*現象学では、われわれが形成する一切の認識は、いくつかの種類の「世界確信」に還元される。この還元の基礎となる地平が、われわれの現にある体験意識としての「純粋意識」である。
どんな認識も、純粋意識においてなんらかの「確信」として構成され、さらにそこから 間主観化されているから、一切の対象の確信構成の根本構造を把握すれば、そこから一切の「世界認識(世界確信)」の一般理論を構成することができる。この構想は、一見、破天荒に思えるかもしれないが、誰にとっても全世界が「主観の風船」の中で構成されるというフッサール現象学の考えからは、当然現われる構想である。
ところでしかし、フッサールの「純粋意識」における根本的な所与の契機は、個的直観(=知覚、想起、想像)、そして意味直観(=本質直観)である(『イデ—ン』)。だがここでは、対象の価値やエロス性を生成する契機、エロス的情動、衝迫、欲望といった諸契機は現われえない。

*私は、すでに、現象学の「純粋意識」と「本質観取」を、欲望論における「現前意識」と「本質洞察」の概念へと位相変樣しておいた。一切の確信構成の基礎としての地平を「現前意識」とおき、ここでの根本的な所与の契機として、個的直観と意昧直観に加えて情動所与を置くことで、「世界確信の一般構成」の構図は、価値-意味の生成を含む「世界認識の一般理論」の基礎構図となる。
この欲望論的な「世界確信の一般構成」の構図は、現象学の世界構成の理論に二つの点をつけ加える。第一に、世界は客体化された一般意味としてのみではなく、一般価値の総体としても把握される。第二に、世界は、客体化された一般価値-意昧の世界としてだけでなく、実存的な、つまり欲望相関的な価値-意味の生成的世界としても把握される。この位相変様が、人文領域の普遍認識の基礎づけにとって不可欠の前提となる。

*次頁の図「世界確信の一般構成」における「現前意識」は、目覚めているかぎり誰もが現に確認できる「意識の体験流」である。誰であれ自分と世界についての一切の世界意識を、この現前意識のうちで成立させている。
現前意識においてさまざまな意識所与がたえず生成しつつ流れ去ってゆくが、この意識所与の諸契機として、大きく、知覚、想起、想像、そして情動所与をあげることができる。さらにたえず現われ出る「思念」(思考)がある。また、これらの意識所与は、受動的な到来性と能動的な発動性という二契機をもつ(もっと詳細に区分できるが、ここでは不要)。
重要なのは、個々人の世界像(世界確信)の一切が この現前意識の連続的持続のうちで構成される、ということだ。そしてここから構成される世界確信の全体を、大きく、三つの層、日常世界、公共世界、そして文化的―理念的世界に区分することができる。それぞれの層は、構成(世界確信の構成)の独自の本質をもつが、それをまた本質洞察の方法で記述できる。

文化・理念的世界(宗教・芸術・学問)
(※推論・仮説・検証  「共通確信」)
公共世界(社会・国家・世界)
生活世界
事物 生きもの 他者 身体
~~~現前意識(意識の水面)~~~
  1. 知覚像(知覚・想起[記憶]・想像)の所与
  2. 意味直観(本質所与)
  3. 情動所与
  4. 思念・思考・判断

*(1)第一次的世界構成……生活世界(日常世界)

「生活世界」は、われわれを直接取りまく周囲世界、自然事物、事象、他者、自己身体、そして「自己」などが関係しつつ存在している世界であり(生活世界)、世界の最も基礎的な存在確信として構成される。
現前意識の本質洞察からは、日常世界を構成する諸対象は、個々の事物対象(自然世界を含む)、諸事象、他者(他者身体を含む)、自己身体、そして「自己意識」である。そしてそれぞれの対象がその存在確信の構成の本質を少しずつ異にする。ここでは詳細な記述は控えていくつかの範例を素描しよう。
事物対象については、すでにフッサールが本質観取による詳細な記述を示している。事物対象の存在確信は、知覚像とその対象意味が連続的な調和を維持して意識に所与されているかぎり、成立する(構成される)。

*「他者」の存在確信についても『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(以後『危機』と略称)での記述がある。要約すれば、その身体の動きがわれわれがすでに経験的に知っている他者存在の諸標識と大きく食い違わないかぎり、われわれはそこに「他我」主観(他者の心)の存在を確信する(フッサールの他我確信の本質観取には不備があるが、ここでは踏み込まない)。
「自己存在」の確信については『デカルト的省察』で簡潔に述べられている。私が私のさまざまな経験を想起できるだけでなく、それらの想起された体験がたしかに自分の経験であるという確信が時間的な整合性をともなって反復的に現われるかぎり、「私は私である」という確信は自然に成立する。
こうした諸対象と諸事象の確信の束として、われわれは「日常世界」の一般的確信を成立させている。個々の事象においては間違いであったり疑わしくなったりすることがあるが、しかし日常世界の存在確信は、総体としてはわれわれにとって不可疑なものであり、それが根本的に揺らぐことはまずない(たとえば、精神的病における自我統合の失調、現実の分裂や喪失などでは起こりうる)。

*重要なのは、この「現前意識」における世界確信の構成において、われわれの世界はつねに二重の仕方での構成、つまり客体化された客観的世界として確信されているだけでなく、たえず「私にとっての」価値―意味的世界としても構成されているということだ。
たとえば、机の上のリンゴは、私が空腹でなければ単なる果物だが、空腹なら私の欲望の対象として、さまざまな価値―意味性(おいしそうな果物、すぐに食べてよいか、誰かに叱られないか、等々)を帯びて現われる。同じく、他者は、他者一般ではなく、そのつど、見知らぬ人、嫌悪や恐怖の対象、また逆に最もかけがえのない存在などとして現われる。
つまり「日常世界」の本質には、それが単なる一般的、客観的な環境的世界であると同時に、私にとっての価値的な関係世界でもあるということが属している。そして回りの世界をそうした価値的―エロス的対象として現わすのは、現前意識に到来する情動―衝迫という所与性の契機にほかならない。
現前意識における「情動―衝迫」(つまり欲望)という契機を見逃すなら、「世界確信の一般構成」の構図は、人文領域における「一般理論」の基礎となりえない。

(2)第二次的世界構成……公共世界(社会・国家・世界)

*ここで「公共世界」と呼ばれるものは、日常世界の現実確信の上に、より高次なものとして成立している人間の集合的関係世界、つまり、社会、国家、国際社会、人類といった世界確信をさす。日常世界は、本質的に、見たり聞いたり触れたりという直接知覚を基礎として、そこから離れることなく成立する世界だが、公共世界としての「社会」や「国家」は、直接知覚がもたらす現実性を基礎とするが、もっぱらさまざまな伝聞や情報によって構成される「世界確信」として現われる。
たとえば、私が毎日出かけて授業を受ける学校や、そこで出会う友人や先生や教室は日常世界の現実性だが、それが教育という社会制度に属する場であるということは、いわば 情報の束の共有によって成立する。私が旅行して外国の街路や観光スポットを観て回るのは日常世界だが、テレビや新聞を通してその国の事情や日本との関係について一定の理解をもつとき、それは国際社会という公共世界の現実性として構成されている。

(3)第三次的世界構成……文化・理念的世界(宗教・芸術・学問)

*第三次の世界確信の地平は、文化・理念的世界(学的世界・文化的世界・形而上学の世界)である。この世界は、原則として事物的な現実存在性をもたず、主として言語によって構成されている世界である(この意味でカール・ポパーの「第三の世界」に近いが、言語のみとはいえない領域も含まれる)。その領域はきわめて広く、また人間が形成する「世界観」の最も重要な部分を占めるといってよい。すなわち、宗教、政治思想、価値観、審美観、さらに言語化されないものとしての「超越的世界」もこれに属す。 この世界は事物的、事実的な存在基盤をもたないが、そのことは、この世界の現実性と重要性をいささかも減じない。たとえばそのことをよく象徴するのは「宗教」である。
宗教の教義は「物語」でできており、その普遍的な妥当性は証明されない。しかし宗教の「世界観」は、多くの人間に共有されることで社会の根本的な価値規範を形成するものとして重要な役割を果たしてきたし、いまも果たしている。ただ、この共同的な世界観は、普遍的な共有の可能性をもてないことで、社会的な対立の源泉ともなる。この構造は政治思想も同様である。

*近代以後、教育課程をへたものは、「数学の世界」を他者たちと共有する。数学が人間生活のうちで重要な役割を果たすのは、それが「同一」のものとして人々に共有されるかぎりにおいてである。同じく、実証主義的な諸学問、とくに物理や化学などの理科系の学問は数学的な世界記述を基礎としており、これに準ずる。
社会学、政治学、心理学、歴史学といった人文領域の学問世界ではどうか。ここは建前上、実証的な科学の方法に基づく普遍的な世界認識が可能であると見なされている。しかしこの領域では価値観の多様という問題が克服されておらず、フツサールが力説したように、多くの学説の並立とその対立が必然的となっている。

*いま述べた三層の世界地平の本質構成の違いについて、ここではこれ以上踏み込まない。ただ、三層の世界地平の構図の意義については述べておく必要がある。
生活世界、公共世界、文化・理念的世界という三層の世界構造は、人間の「世界確信」(世界像)の基礎的構成をなしており、例外的な場合を除いて、誰もがこれらの「世界確信」の重層的な構成のうちを生きている。この重層的「世界確信」はいわば各人の「かぶと虫」であり、人は自分自身の「世界確信」を言語ゲームにおいてたえず交換しあい、そのことで他者とともに「客観的な世界」の中に生きているという間主観的な信憑(しんぴょう)を共有しているのである。
それゆえ、この構図は、人間が創り上げる一切の世界認識(世界確信)の構成の根本原則を示し、すなわち人間の「世界認識の一般理論」を基礎づけているものである。

*世界認識の一般理論は、どの世界認識が正しい(客観的)認識かではなく、むしろ、どのような世界認識(理論)が普遍的な間主観性に届く条件をもつか、どの理論がそうでないかを確定する。つまりこの一般理論は、一切の世界認識につぎのような本質区分を与えることができる。

(1)誰もが厳密な同一の対象確信に達しうる学的な普遍的認識―理論
(2)最終的確定にはいたらないが、新しいデータによって普遍認識となりうる可能性をもつ認識―理論(可能な普遍的理論仮説)
(3)より普遍的な共通認識(原理)が間主観的に成立したために、もはや廃棄されるベき理論(誤謬あるいは不十分とされる認識—理論)
(4)普遍的認識―確信として成立する可能性を原理的にもたない認識理論(形而上学、独断論、相対主義哲学)

ポパーは、科学的認識の正当性の根拠を「反証可能性」という概念で示した。本質的には正しいが表現上の難点をもつこの概念を、現象学―欲望論的観点は、むしろ「確信根拠の検証可能性」の概念へと変更する。

*最後に、この三層の世界確信の像について、それぞれの確信構成における根拠関係を指摘することができる。つまり、より高次の世界像はその検証の根拠を自身のうちにはもたず、必然的に下位の世界像の対象確信に依存する。
たとえば学問の理論は、それが疑われるときには、公共世界における人々の知見や共通確信にさかのぼってその根拠を確かめるほかはない。公共世界や諸制度については、人々の日常世界(生活世界)へとさかのぼることでその妥当性の根拠を検証することができる。同様に、日常世界における一般確信(共同確信)は、個々の人間の「現前意識」にその確信構成の根本条件をもつ。
こうして、「現前意識」は、人間の一切の世界確信の構成を支える、それ以上遡行されえない最後の「底板」にほかならない。現前意識は、われわれの生と世界の「現実性」の根本的前提であり、誰も「その背後に回ることができない」絶対的な基底である。

第14回『新・哲学入門』著竹田 青嗣|講師:居細工 豊
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おさらい
Pick Up!
世界認識の一般構成
世界認識の一般構成 竹田 青嗣|講師:居細工 豊 世界認識の一般構成 竹田 青嗣|講師:居細工 豊

「現前意識」~認識の基底~

「現前意識」における世界確信は「客体化された客観的世界」と「私にとっての価値―意味的世界(欲望相関的)」の二重の仕方で構成されている。

個々人の世界像(世界確信)の一切は「現前意識」を基底に構成される。 世界確信の三層の像は、それぞれの確信構成は検証の根拠を自身のうちにはもたず、必然的に下位の世界像の対象確信に依存する。

現前意識は、われわれの生と世界の「現実性」の根本的前提であり、誰も「その背後に回ることができない」絶対的な基底である。

『欲望論的本質』

宿題解答からの生徒のマナビー

我々の世界認識は全て「 の意味・価値を土台にした認識」である。

戦争という普遍暴力を縮減するためには、 ロシアが正しい、ウクライナが正しいではなく、両者がなぜ異なった世界観の確信を持つのかを検証するのが相互理解の初めの一歩である。

その上で、みんながわかる言葉を使った言語ゲームによって、各々の「世界認識」を交換し合いながら、新しい世界認識を共に作っていくことが「エロスの共生(自由の相互承認)」には必要不可欠なのだ。

反証可能性〜カール・ポパー 〜

科学的とは「確証(絶対)」ではなく、「反証可能性(反論の余地を残す)」があること。

科学的 それが観察や実験で間違っていると証明可能。
例:アインシュタインの相対性理論
非科学的 どんな事実が出てきても当てはまると主張するが、反証不可能な言説。
例:宗教や、占星術など

確信根拠の検証可能性〜 現象学―欲望論的観点 〜

世界認識の一般理論は、どの世界認識が正しい(客観的)認識かではなく、むしろ、どのような世界認識(理論)が普遍的な間主観性に届く条件をもつか、そうでないかを確定する。

(1)普遍的認識―理論 誰もが厳密な同一の対象確信に達しうる学的
(2)普遍認識となりうる可能性をもつ認識―理論
(可能な普遍的理論仮説)
最終的確定にはいたらないが、新しいデータにより創出
(3)廃棄されるベき理論
(誤謬あるいは不十分とされる認識—理論)
より普遍的な共通認識(原理)が間主観的に成立したもの
(4)形而上学、独断論、相対主義哲学 普遍的認識―確信として成立する可能性を原理的にもたない認識理論

「形而上学」= 形を超えたものを扱う(検証不可能)
例:神学、独断論・相対主義的な学問

「形而下学」= 形あるもの、現象を扱う(検証可能)
例:自然科学、物理学、普遍性を問う検証可能な学問

宿題

設問

われわれが、「世界認識の一般理論」を学ぶ目的は何か。〈普遍暴力〉という言葉を使って説明せよ。
また、「世界認識の一般理論」が、その目的達成のための唯一の理論(手段)であることを説明せよ。

回答のお手本 1

欲望論的「世界認識の一般理論」を学ぶ目的は、普遍暴力を縮減させることによって、すべての人間の共存とエロス的共生の条件を作り出すことである。

欲望論的「世界認識の一般理論」が、普遍暴力縮減のための唯一の理論(手段)である理由は、一切の確信構成の基礎としての地平である「現前意識」が、人間の一切の世界確信の構成を支える、それ以上遡行され得ない最後の「底板」に他ならず、また、われわれの生と世界の「現実性」の根本的前提であり、誰も「その背後にまわることができない」絶対的な基底であるからである。

回答のお手本 2

世界認識の一般理論を学ぶ目的は、どの世界認識が正しい、正しくないという判断のためではなく、
どんな世界認識が普遍的であるか、またどの考えがそうでないかを確定させるために学ぶのである。

つまり戦争という普遍暴力を縮減するためには、ロシアが正しい、ウクライナが正しいではなく、
言語ゲームを通して、各国が各々の「世界認識」を交換し合うしかない。

他者とともに客観的な世界の中に生きるという、間主観的な信憑を共有するためには世界認識の一般理論を用いる他はない。

参加者の回答

回答 1

普遍暴力に対抗し縮減を進めるには、言語による共同的なルールの形成を必要とする。
世界認識の一般理論は、生活世界、公共世界、文化・理念的世界といった三層で構成され、人は誰もが自分自身の世界確信を言語によって交換し合いながら他者とともにこの世界に生きている。
中でも第三次的世界に位置付けられる文化・理念的世界は、主として言語によって構成されているので、世界認識の一般理論を学ぶことは、普遍暴力に対抗し縮減を進める唯一の手段であると言える。(216字)

回答者からの質問

質問:3枚め下段「この重層的世界確信はいわば各人の『かぶと虫』であり、」とあります。なぜ「かぶと虫」に喩えているのでしょうか(書き手は、読み手にどのようなイメージを喚起したいのでしょうか)? 

質問へのコメント

新・哲学入門 第三章で、人間は、言語ゲームによって各々の「内的実存」の世界を交換し、自分が他人と「同じ一つの世界」を生きているという暗黙の確信を形成するという文脈でウィトゲンシュタインの『哲学探究』から「かぶと虫」の寓喩が引用されています。参考までにどうぞ。

≪そこで、人は皆或る箱を持っている、としよう。その中には、我々が「かぶと虫」と呼ぶ或るものが入っているのである。しかし誰も他人のその箱の中を覗く事は出来ない。そして、皆、自分自身のかぶと虫を見る事によってのみ、かぶと虫の何たるかを知るのだ、と言うのである。ーここにおいて、人は皆夫々の箱の中に異なったものを持ってる、という事も可能であろう。否、それどころか、箱の中の物は絶え間なく〔不規則に〕変化している、という事すら想像可能であろう≫

回答 2

目的は、人文領域の本質学における普遍認識の基礎づけによって、現代哲学の問題を克服することである。現代哲学の問題は、普遍認識の可能性に挫折しそれを断念しているために、普遍暴力の原理を克服できないことである。この問題を克服するには、本質学における普遍認識の基礎づけがまず必要になるのである。
また「世界認識の一般理論」は、一切の世界認識の検証根拠が現前意識にあることを原理的に証明できる唯一の理論であるために、以上の目的を達成するための唯一の理論だと言える。

回答 3

われわれが「世界認識の一般理論」を学ぶ目的は普遍暴力の縮減である。
生活世界、公共世界、文化・理念的世界という三層の世界構造は、人間の世界確信の基礎的構成をなしており、誰もがこれらの世界確信の重層的な構成のうちを生きている。
人は自分自身の世界確信を言語ゲームにおいてたえず交換しあい、そのことで他者とともに客観的な世界の中に生きているという間主観的な信憑を共有しており、その交換によって普遍暴力の縮減によって関係感情のエロスが育まれることが幸せな世界を築く第一歩となる。
それゆえ、この構図は、人間が創り上げる一切の世界確信の構成の根本原則を示すため、「世界認識の一般理論」がこの目的を達成する唯一の理論である。

回答 4

人間は、言語によって、動物がもつ「環境世界」から離脱し、「関係世界」を創出してきた。
結果、「弱肉強食」から「普遍暴力(策略と数を集めて戦う)」によって生存戦略をとるようになった。 「世界認識の一般理論」を学ぶ目的は、みんなが納得できるルール規範を作り、普遍暴力を縮減するためである。

普遍暴力は、相互不安が原因である。これは、一般価値-意味(事実領域)の問題ではなく、欲望相関的な価値-意味の人文領域(本質領域)の諸問題である。 科学的・定量的に、領土や資源の平等性や思想や主張の正当性を検証して、解決できる領域ではない。

まず大切なことは、全ての世界認識は各人の「現前意識」を基底に構成されていることを前提に置く(絶対的に正しい世界観があることを前提にしない)。その上で、両者が理解できる普遍的な世界説明(世界認識の一般理論)を基礎として、ルールを共同的に作っていくことが、普遍暴力縮減の唯一の手段となる。

回答 5

我々が「世界認識の一般理論」を学ぶ目的は、普遍暴力を縮減し、自由な社会を保障するためである。

人間特有の普遍暴力は言語を契機としており、他者との言語ゲームによる関係世界から生まれる。よって、普遍暴力の縮減には言語による普遍認識とそれに基づく共同的なルール形成が必要である。「世界認識の一般理論」以外に言語による普遍認識を可能にする手段が原理的にあり得ないため、これが自由な社会を実現する唯一の手段だと言える。

回答 6

「世界認識の一般理論」を学ぶ目的は、価値観の多様から様々な理論が並立・対立する人文領域において、客観的な正しさではなく、どのような理論が普遍暴力縮減の可能性に届く間主観的に妥当な理論となりうるのか、その条件を本質洞察することである。

普遍暴力の縮減のためには、価値-意味の領域の多様から並立・対立する人文領域の問題を克服するために、普遍認識の基礎づけとなる間主観的に妥当(普遍的)な理論が必要である。
フッサールの現象学の構想では、「純粋意識」の根本契機は、個的直観と意味直観の二つであったため、「価値の哲学」の基礎づけの領域が弱点であった。 しかし、欲望論では概念の位相変様がなされ、「純粋意識」の契機に情動所与を加えた「現前意識」が一切の世界確信を構成する底板となる。
よって、客体化された世界だけでなく欲望相関的(実存的)な生成世界の価値-意味の領域も含んだ「現前意識」を確信構成の根本条件にもつ「世界認識の一般理論」は、人文領域の普遍認識の基礎づけとなり、これは普遍暴力縮減のための唯一の理論(手段)となる。 (情動所与の契機を欠いた「世界認識の一般理論」は人文領域における「一般理論」となりえない)