東大阪の学び場|マナビー

第9回 哲学のマナビー

講師:居細工 豊

キーワード
「らしさ」を身体で実感する
・意味の受肉

次の文章を読んで、後の設問に答えよ。


認知と理解が別のものであることから、
人は時に、認知の力をそのままに理解の力だけを失うことがある。
木村敏氏が離人症の典型例とした患者は次のように告白する。

高い木を見てもちっとも高いと思わない。
鉄のものを見ても重そうな感じがしないし、
紙きれを見ても軽そうだとは思わない。
とにかく、何を見ても、それがちゃんとそこにあるということがわからない。
色や形が目に入ってくるだけで、ある、という感じがちっともしない。

この女性は《鉄》や《紙》を見て、その色や形から(つまり形態的特徴から)、
それが〈鉄〉であり〈紙〉であることを認知できる。
しかも〈鉄〉とは重いものであり、〈紙〉とは軽いものであることを彼女の頭は忘れていない。
彼女は目の前のものを見て「これは紙である。ゆえにこれは軽い」といった判断をする事なら、
普通の人と変わりなくできるわけである。
つまり彼女の困惑は、外界の認知や判断に不自由しているからではない。
ただ、その軽さが実感できないこと、 それ故〈紙〉が現実に存在しているという感じがしないことに悩んでいるのである (コンピューターに物の認知を教え込もうとしている科学者にはこの困惑は理解できないかもしれないが)。
彼女のロゴス的回路は完全に作動している。
ものを名指すことができ、 それを既存の知識に結びつけることができ、 正しい命題を作ることができる。
しかし彼女の身体はそのものの「らしさ」を理解できない。
そして自らの身体によって世界を理解するのをやめたとき、
世界と自分と双方の現実感を失うのである。
彼女は「自分と言うものがなくなってしまった」「感情と言うものは一切なくなってしまった」「私の体も、まるで自分のものでないみたい」と訴える。
経験する身体を失った彼女は高性能なニューロ・コンピューターに過ぎない。

「らしさ」の理解を失うとき、
最も困るのはらしさを理解しなければ話にならないもの、
例えば芸術の経験である。
先の患者はまたこうも語る。

以前は音楽を聞いたり映画を見たりするのは大好きだったのに、今はそういうものが美しいということがまるでわからない。音楽を聞いても、いろいろな音が耳の中に入り込んでくるだけだし、絵を見ていても、いろいろの色や形が目の中に入り込んでくるだけ。何の内容もないし、何の意味も感じない。

音楽も絵も「らしさ」としての意味を作ることができず、理解できない音や色はただ断片として知覚されるほかはない。、
音楽が音楽として、絵が絵として経験されるためには、私たちの身体によって意味を受肉させられねばならないのである。
私たちが鉄や紙を見るとき、私たちはそれを〈鉄〉とか〈紙〉と認知するのみでなく、その〈鉄らしさ〉〈紙らしさ〉を身体で実感しており、この「らしさ」の理解が目の前のものに現実感を与えている。
この時私たちがその物を指して「鉄だ」とか「紙だ」だと言うなら、その言葉は単なる記号ではなく、私たちの身体からその意味を受肉しているのである。
いや、目の前に《鉄》がないとしても、《鉄》について言及している時なら、「鉄」という言葉はふつう意味を受肉している。
私たちの身体はその〈鉄らしさ〉を経験する準備体制を整え、その「らしさ」の意味を理解しているのである。、
しかし《鉄》について言及していない時、例えば「『鉄』は日本語である」といったメタ言語の中では、必ずしも意味の受肉は必要ではない。
先の女性患者は、いわばメタ言語の世界を生きているのである。そこではすべての概念はロゴスの論理に従って駆け巡るが、決して生身の身体に共鳴する事はなく、それゆえ現実の世界に触れることがないのである。

『ことばと身体』尼ヶ崎彬  勁草書房  p165からp167「意味の受肉」より引用

設問1

本文中の下線部の「〈鉄らしさ〉〈紙らしさ〉を身体で実感」とは、どういうことですか。
分かりやすく説明してください。

設問2

「らしさ」の意味を理解することが、
生きがいや、やりがいにつながると考えられますが、そはなぜですか。
「価値」と「欲望」という言葉を用いて簡潔に説明してください。

ヒントでピンと

ロゴス的回路とは? ロゴスはギリシャ語で理性と言う意味です。
反対語はパトス、感情と言う意味です。
ですから、ロゴス的回路とは、論理的な思考回路と言う位の意味になります。
参考にしてください。

ニューロコンピュータとは、脳の基本素子である神経細胞(ニューロン)や、
それらが結合した神経回路網(ニューラルネット)の構造や情報処理メカニズムを基礎とし、
脳の持つ情報処理能力を人工的に実現させることを目的としたコンピュータのことである。
ニューラルコンピュータと呼ばれることもある。(Weblio辞書より)

key word
身体・らしさ・実感・感情・美しい・現実

勉強会の宿題

アーノルドシュワルツェネッガー主演の【トータル・リコール】と言う映画(1990年)を見てくること。
これは、虚構なのか?現実なのか? 
どちらかわからないと言うスリル。これがトータルリコールの面白いところです。
バーチャルリアリティーは、視覚と聴覚において、まさにリアルです。
最近の映画館は、座席が振動したり、風や霧が顔のあたりに吹きつけられたりして、さらにリアリティーが増しています。 さて、虚構か現実か、本物か偽物か、私たちが迷った時、どうするでしょうか。

※気をつけないと、リメイク版と一緒に並んでいますので間違って借りてしまうことがあると思います。
リメイク版は見ましたけど肝心なところ(汗が額から流れ落ちる場面)がなかったです。

出題の意図

禅の『碧巌録』第六則に収められている公案「日日是好日」は、
「毎日毎日が素晴らしい」という意味です。
私は昔、ばかばかしい格言だなぁと思っていましたが、
最近、この禅語録の意味と価値がよくわかるようになりました。

味気ない生活、逆にうるおいのある生活、いずれにせよ、
普通の日常生活が送れると言うだけでそれは素晴らしいという事が理解できるようになりました。

今回の出題の意図は、このように、世界に意味の受肉が感じ取れるからこそ、
喜怒哀楽に溢れた生活をすることができ、
そのこと自体が幸せなことなのだということに気付いて欲しいと言うことです。

居細工豊先生|マナビー
居細工豊先生|マナビー

参加者の回答

回答 1

設問1. 〈鉄らしさ〉〈紙らしさ〉を経験する準備体制を整え、その「らしさ」の意味を物理的に理解すること。

設問2. 日々たくさんの人、物、環境と関わりを持つ中で、
それぞれの○○『らしさ』を感じたり、理解し受け入れることに価値を感じたり、
その『らしさ』がわからないものには『らしさ』を見つけ出してあげたいという欲望がある。
そして私たちは、その『らしさ』から学んだり、その『らしさ』をより良い方向に導いたりすることが、
生きがいと感じるからである。

回答 1 書き直し

設問2. 日々たくさんの人、物、環境と関わりを持つ中で、私たちはそれに自分の感情的な価値をつけていく。
その価値の中で正しいものや美しいものなどをもとめて日々生きていくことが欲望であり生きがいである。


回答 2

設問1. 「重い、柔らかい、美しい、怖い」など、実際に身体で触った感触や、心臓がドキドキしたなど経験を通して知る情緒的な理解です。

設問2. 「らしさ」の意味を理解するとは、物事に対し価値概念を含んだ解釈をすることです。
私たちは経験を通して「好き、嫌い」などの重み付けをし、「価値」を作り出しています。
その価値を求めることが「欲望」であり、欲望を満たすための行為に私たちは生きがいや、やりがいを感じます。

風邪で何を食べても味がしない時、あれを食べたい、これを食べたいという欲望も喜びも湧いてこないように、
私たちは自らの身体によって世界を経験し、その意味を受肉した瞬間からしか人生を味わうことはできないのです。

回答 2 書き直し

設問2. 「らしさ」の意味を理解するとは、物事に対し価値概念を含んだ解釈をすることです。
私たちは経験を通して「好き、嫌い」などの価値づけをしています。
その価値を求めることが「欲望」であり、欲望を満たすための行為に私たちは生きがいや、やりがいを感じます。

風邪で何を食べても味がしない時、あれを食べたい、これを食べたいという欲望も喜びも湧いてこないように、
私たちは自らの身体によって世界を経験し、その意味を受肉できなければ、人生の味わいが薄くなるのです。


回答 3

設問1. 鉄の重たさや冷たさ、匂い、紙の軽さ、触り心地、音を覚えているということ。

設問2. 自分が善い、美しいと思ったものの中に共通して存在する「らしさ」に価値を見出し、
その価値を手に入れたい、見(観)たいという欲望を満たすために条件を達成しながら生きているから。

回答 3 書き直し

設問2. 自分が価値があると思うものを手に入れたい、見(観)たいという欲望を満たすために条件を達成しながら生きているからやりがい、生きがいになる。


回答 4

設問1. 「らしさ」を身体で実感することは自ら経験や体験をすることと言える。
鉄とは何かをGoogleで調べれば認知することはできる。
しかし、鉄に触れてみないことには重さや質感などは理解することができない。
つまり、人間は五感を使って初めて理解することができると言える。

設問2. 「社会問題を解決すること」や「SDGsに触れること」は
人間にとって価値あるモノだということは誰しもが認知できるだろう。
しかし人間はそのことがやりがいや生きがい(欲望)にならないことが多い。
なぜならば、社会問題で困っている人をリアルに見て、心を動かされていないからだ。
経験や体験したことが価値あるものと心から実感するとそれが欲望に変化する。
そのことが生きがいや、やりがいになると考える。


回答 5

設問1. 〈鉄〉や〈紙〉などの物質を、色や形といった形態的特徴から認知するだけでなく、
温度や重量といった幻影的特徴を生身の身体に共鳴させて理解するということ。

設問2. 私たち人間の欲望は、価値を体現することであり、その価値は「らしさ」の意味を理解することでもたらされるから。

回答 5 書き直し

設問1. 〈鉄〉や〈紙〉などの物質を、色や形といった形態的特徴から認知するだけでなく、
温度や重量といった情緒的特徴を生身の身体で感応して意味を受肉するということ。

設問2. 私たち人間の欲望は、価値を対象として向かうことで満たされるため、「らしさ」の意味を理解することは生きがいややりがいにつながる。


回答 6

設問1. ロゴス的回路を使わなくとも、直感的にどういうものかが判断できること。

設問2. 生きがい、やりがいは欲望によって創られるものなので、「らしさ」の意味を理解出来ないと生きている価値を見出せないから。