東大阪の学び場|マナビー

第3回 哲学のマナビー

講師:居細工 豊

キーワード
『対人関係上の問題』

次の文章は、アドラー心理学のウィキペディアでの説明文である。
この文章を読んで後の問いに答えよ。


社会統合論(Social Embeddedness)

人間は社会的動物であることから、人間の行動は、
すべて対人関係に影響を及ぼす。
アドラー心理学では、人間が抱える問題について、
全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、
人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。

人間は人間社会において生存しているものであって、
その意味で社会に組み込まれた社会的存在なのである。
社会的存在であるので、対人関係から葛藤や苦悩に立ち向かうことになるが、
個人の中では分裂はしていなくて一体性のある人格として行動している。
すべての行動には対人関係上の目的が存在している。

社会に統合するというよりも、最初から社会的存在なのである

仮想論(Fictionalism)

アドラー心理学では、全体としての個人は、
相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。

しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに
向かって行動しているかのようである、ということであって、
実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、
相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。

人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、
それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。

これは哲学における認知論の問題である。
ただし、「認知」という用語の使い方については、
基礎心理学(臨床治療を直接の目的としない研究)の20世紀後半以降の主流派であるところの
認知心理学における「認知」とは大きく異なることに注意が必要である。


設問1

フロイトとアドラーとの違いを100字以内で説明せよ。

設問2

フロイトとアドラーのどちらが正しいと思うか。
自分の過去の悩みや苦しみを乗り越えた体験を例に挙げて100字以内で説明せよ。

出題の意図

アドラーが言うように、人間が抱える問題は、
すべて対人関係上の問題であると考える事で、
自分が抱えているどんな悩みも必ず解決できる
ということを知ることが、今回の出題の意図です。

参加者の回答

回答 1

設問1. フロイトとアドラーの違いは、自分が取る行動の意義である。
フロイトは、人間のすべての行動に無意識な心理的裏付けがあると考え、
アドラーは、人間が抱える問題の全てが対人関係上の問題であると考えた。

設問2. 私は7歳の時に埼玉から大阪へ転校し、方言の違いによるいじめを受けた。
それからは関西弁を必死に練習し、皆と仲良くなれた。
このように、私が抱える問題は対人関係上の問題であったため、私はアドラー派である。


回答 2

設問1. 人は相手に影響を与えようとする意識的な現在の目的のもと行動するということ。それがアドラー心理学。
対して、人の対人行動には全て原因があり、それが無意識に生成されているとする。それがフロイトの論。

設問2. 今までの人生、悩みや苦しみを特に感じることなく生きてきた。
自分の性格上、悩みを感じないように都合よく生活していると仮定すると、
無意識に悩みをどこかに除けて対策していると言えるのでフロイトに賛成する。


回答 3

設問1. フロイトは無意識の中にあると言われている。
つまり、アドラーのように社会的にプラスの状態に向かおうとするのではなく、
自分の心の中に眠っている「夢」のようなものに従って行動する生き物なのに、
社会に適応するように向かう点が大きな違い。

設問2. オンラインスタディーツアーを計画して、支払いについて悩んだ。
個人で支払えば社会起業家を助けることになると考えた。
しかし、多くの人の意見にやむなく従い、悔しいが学校を支払い主にした。
このようにあらゆる悩みは社会的な悩みである。よってアドラーが正しい。


回答 4

設問1. フロイトとアドラーの違いは、問題解決する方法の違いである。
フロイトは問題の原因を過去に求めることで解決しようとした事に対し、
アドラーは問題解決のために生きる目的によって解決しようとした。

設問2. ゴルフでいつのまにか気持ちが下向き、悪い流れのまま終わってしまった。
次に繋げるためにラウンドを終えてフィードバックを入れて意識的に解決させようとしたので
これは相対的マイナスから相対的プラスの状態を目指しているので私はアドラー派だと言える。